Sのつれづれ日記

 ここでは日々の出来事や思ったことなどを中心に書いていきます

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ファイナルファンタジーオーケストラコンサートVOICES

ファイナルファンタジーVOICES特典DISCより植松インタビュー

 (オーケストラについて)今回のコンサートは、オーケストラコンサートというより・・・いろんな歌手の方が出てきて、合唱団、ロック・バンドありオペラあり歌謡ショー?みたいな感じですよね。
 オーケストラ音楽を退屈なものにしたくない、楽しいんだよと実体験していただきたい。やっぱね、クラシックってやっぱつまんないんですよ、こういうとクラシックの関係者に怒られるかもしれないけど(笑)。いや僕はクラシック好きなんですよ。
 やっぱ3分間のJ-POPを聴き慣れてる子にマーラーの1時間のシンフォニーってのは厳しいですよ。それで「クラシックってつまらない」ってなってしまったら惜しい。それでいきなりマーラーとかベートーヴェンを聴かせて興味なくさせるよりも彼らが好きなゲームやアニメでオーケストラのコンサートにコンサートに行って・・・
 彼らが普段聴いてるアニメとかゲームの音楽をゲーム音楽をオーケストラで聴いてオーケストラってかっこいいんだ、迫力ある、綺麗だって思ってもらえたら未来が見えてくると思うんですよね、今のままだと廃れてる一方、凄くコアなクラシックファンの間では楽しまれるかもしれないですけど一般には広まっていかないと思うんですよ。だからそういうあんな贅沢な音楽、バンドみたいなもんですよね。
 80人からなる・・・しかもその80人が6歳とかから十何年、何十年とヴァイオリンとかピアノとかそのものだけに特化した人たちが80人集まってるものすごい贅沢なバンドなんですよ。
 あのバンド音楽をこの先どんどんどんどん発展させていければいいなと、ゲーム音楽がそのきっかけになってくれれば非常に光栄ですしね。

 (やりたいこと)ロックバンドとオーケストラの融合ってのはもう少しやってみたいですね。それとは別に、「オーケストラコンサート」とは別に・・・ロックバンド主体でオーケストラとやれればと思ってますね
 
 ・・・(以上ファイナルファンタジー・オーケストラ・コンサート「VOICES」特典ディスク植松伸夫インタビューより一部の大意)
 
 私はゲーム音楽からクラシック(器楽)に入ったという点、カラヤンの諸映像作品によってではあるが「オーケストラという器楽合奏集団とは何とかっこよいのだろう。流麗な容姿の指揮者とはなんと高貴で、指揮とは音楽技能はこれほど壮麗なものとして目に映るものなのか!」と思わされた点では見事にしてやられたなあ。
 私もクラシックは実はつまらないのではないかと思う。室内楽や交響楽のコンサートには何回か行って十分満足したが、ブラームスの第4交響曲が大好きとか、バーンスタインのマーラーの第9交響曲のDVDで泣いたとか、クラシックに感動したふりをしているだけで結局何もわかってないのではなかろうか。特にまだマーラーはつまらない。第9交響曲で泣いたのはバーンスタインの情熱的な指揮姿にだまされたのだ。とても全曲通してめったに聴けるものではない。

 ためしにマーラーの第1交響曲を唯一持っているCD、メータ指揮イスラエル・フィルで久しぶりに聴いてみた。
 やっぱつまんねな。かといって「VOICES」も、2004年の普通のクラシックコンサート形式でのの方がはるかにいいと思ったりするのだが・・・
 コンサート形式のオペラ「マリアとドラクゥ」はいい。日本語歌唱で、陳腐な筋書きだがドラマティックで、「ああ、イタリア人はヴェルディをこんな風に聴いてるのか」とわかったつもりに慣れる。何を言ってるのかわかるというのは極めて大きい。日本の伝統芸能である能や狂言がまったくわからないのは「同じ日本人なのに何を言っているのかわからない」からだ。「勉強すればいい」のだろうが、興味を持てればそれなりに調べるのである。興味をそもそも持たせてくれないのでは、私似合っていないジャンルとしか思えない。

 しかし、カラヤンの1959年ウィーン・フィルとの来日公演のブラームスの第1・第4交響曲、シューベルトの「未完成交響曲」は非常に良いなあ。ベルリン・フィルとのワーグナーのマイスタージンガー前奏曲、R・シュトラウス(バーンスタインはユダヤ人問題もあり、ナチス・ドイツの音楽文化政策における要職にあった彼が嫌いだったそうだ)の「ドンファン」(私にとってはR・シュトラウスは何の魅力もないがカラヤン、ベルリン・フィルの演奏によってこの曲に関しては「意外といい曲」と思わされそうになった)、ベートーヴェンの第5交響曲、名古屋市公会堂でのアンコール曲バッハ「アリア」、どれも素晴らしかった。ヘビーローテーションで回すDVDになりそうだ。なんだかんだいって「VOICES」も「素敵だね」とか、このコンサートでは珍しい器楽のみの「ファイナルファンタジー」、ミス・アンジェラ・アキ(美人!)の「EYES ON ME」とか「Melodies of Life」、アンコール2曲が非常によく(「スウィング・de・チョコボ」(指揮者アーニー・ロス編曲)と「再臨:片翼の天使《植松伸夫がキーボード演奏で参加、BLACK MAGESというバンドを率いてロックバンドとオーケストラ、合唱のコラボレート曲として「片翼の天使」を再構成》」)のあとの大スタンディングオベーション(FFのファンはおとなしく、植松の親父ギャグは最初から中盤にかけてすべりまくっていたがコンサートの終わりに燃えるんだよなあ)で急遽「再臨:片翼の天使」を演奏するなどDVDを見てるだけのこちらも実に楽しい。指揮者アーニー・ロスもオケのメンバーも笑顔たっぷりだし、良かった。平和極まる風景である。

 モノクロ・不鮮明な半世紀近く前のクラシックの名演と今年行われたライトと大音響、何人もの歌手、ロックバンド、アカペラグループなどを総動員した新しいコンサートの対比は興味深く音楽について考えさせられる。しかし、「音楽は素晴らしいが世界を変える力はない」くらいのある程度冷めた距離感を持ってるとかっこよく思えるのも確かだ。

 

ちなみにAmazonでは「VOICES」はDVD4位、カラヤンのは約190位であった・・・

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スタインウェイでEYES ON MEを弾き語りするアンジェラ・アキ。

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 マイクが羨・・・

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 ブラームスの交響曲第4番を指揮するヘルベルト・フォン・カラヤン

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 終演後演奏者の肩を手を回して労をねぎらうカラヤン

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 歌舞伎を観劇するヘルベルト、エリエッテ夫妻
  1. 2006/06/23(金) 18:19:23|
  2. 音楽
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カラヤン・ライブ・イン・ジャパン1957&1959、ファイナルファンタジーコンサート

 カラヤン指揮ベルリン・フィル1957年来日コンサート、ウィーン・フィル1959年来日コンサートのDVDを1日前に入手。ついでにファイナルファンタジー・オーケストラコンサート「VIOCES」も見る。

 カラヤンのDVDは静止画(スライドショーのように写真が変わる)部分が結構あるのだが、それを突き抜けて興奮できる。特にウィーン・フィルとのブラームス交響曲第1番・第4番、シューベルトの交響曲第「7」(とケースには表記)番「未完成」は映像ではクールに弾いているように見えて出てくる音は熱い。第4番、「未完成」はモノラルだが鮮明で歴史的映像についてくる音としては十分鑑賞に堪える。カラヤンの優雅な指揮姿を堪能できる。モノクロ画像が彼の顔立ちの彫りの深さを逆により浮き彫りにしている。

 ニュース映像もよい。ステレオ音声の「美しき青きドナウ」がバックに流れるのだが、この演奏の映像はなかったのだろうか?あれば使ってると思うので音だけ現存しているのだろう。エリエッテ夫人は本当に美しく、カラヤンとは30歳差で親子といえるほどはなれているはずだが、カラヤンが若々しいので、年上の夫の夫婦に十分見える。

 行く先々で花束・握手の嵐。二枚目超大物俳優の来日のようだ。1950年代後半、彼はまさしく「スター」だったんだなあ。

 ファイナルファンタジーコンサートは今年2月にパシフィコ横浜で行われたもの。4000人分のチケットは30分で完売したという。(見たのはまだ途中)
 オーケストラはこのコンサートのために編成された「プリマ・ビスタ・フィルハーモニー管弦楽団」。指揮はアーニー・ロスといい、昨年のファイナルファンタジー北米公演を何回か指揮したようだ。
 ストックホルム、フィラデルフィア、シカゴ、ワシントン、字幕には出てなかったが「プラーグ」といっていたので恐らくプラハでもゲーム音楽の交響曲の演奏会をやるそうだ。更に「プレイ」というゲーム音楽のコンサートがあり、植松伸夫がオープニングのファンファーレを書いたとの事。
 しかし、欧米でのゲーム音楽の演奏会でドラゴンクエストの音楽が演奏されるかはなはだ疑問だ。植松は結構日本のゲームにかかわる人として有名(といってもゲーム愛好者にだが)だが、すぎやまこういちの知名度は日本でこそ植松に匹敵するか上回っているが海外では植松に比較すればかなり劣るようなのだ。

 「プレイ」はすでの行われたようで植松のページには「28歳のアメリカ人とドイツ人が日本のゲーム音楽をやるとは日本の若者も奮起してもらいたい」と書いていたが、演奏曲目が激しく気になる。

 ハリー・ポッター6巻を図書館で予約したが4冊しかないのに予約待ち「98件」だった・・・
  1. 2006/06/22(木) 19:39:46|
  2. 音楽
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色々

 ハリー・ポッターの5巻をとっくに読了。ルナ・ラブグッドは新キャラだがいい味出していた。キャラ造形がうまいですね。

 スネイプの過去を見たハリーは、ハリーの親父ジェームスとシリウス(とてもハンサムらしい。ロンの兄のビルもとてもハンサムとある。ハリーは一度もハンサムとされたことはない。しかし、ハリー・ポッターの人物描写をよんでも銀河英雄伝説ほど、キャラクターの容姿の徹底描写にこだわった小説はないと思う)がスネイプを「存在そのものがな…」というだけでいじめていたのを見る。さかさづりにしてパンツ皆に見せてたよ。しまいには「こいつのパンツ取るか?」とまで…。そりゃ、スネイプ屈辱だよ。その息子がジェームスそっくりに校則破りまくりなのを見て偏見を持つだろうよ。ダンブルドアは「スネイプ先生がジェームスに対する感情を克服できると思っていたのだが…」と言ってたが…ハリーもショックを受けスネイプにおもわず同情するが、シリウスが死亡したことにより、ダンブルドアへの怒りもあいまってまたスネイプ憎しになってしまった。ハリーの親父どもはひどすぎだ。まあシリウスがいうように15歳では判断力が乏しいのはわかるが…。ルーピンは見ていただけで、明らかに悪いことだと思いながら注意できなかった。私も結局こんな立場だろう。不正義が行われているのに怖いので注意できないのだ。とても人間らしいがやりきれないなあ。不思議少女ルナも持ち物を隠されたりいじめられてた。ハリーは同情して、少なくとも親父とは違い不正義に憤りと義憤を覚えるキャラではあるのは救われる。田中芳樹がいうように「弱いものいじめする奴だけは(魅力ある物語の)主人公になれない」のだ。

 思春期イライラハリーには感情移入できず。もっとも感情移入できるのは老校長アルバス・ダンブルドアだ。復活したヴォルデモートと魔法省(魔法界にも政府がある。普通の人間の首相《ハリー達は1979年か1980年生まれなので、第5巻は1995年ということになり、確かイギリスはメイジャー首相だったか?端正な紳士だったよね。女性スキャンダルで追いつめられてた記憶があるが》は魔法使いの存在を知っていて、ヴォルデモート復活を警告されている)内での戦闘では6人のデス・イーター(死喰い人)を張り付けにし、ヴォルデモートを撃退。ハリーに、色々と真相を明かす。「一方が生きる限り他方は生きられない」つまり、ヴォルデモートとの関係は生か死かという、普段はインチキだが神がかった予言をしたトレローニー先生の予言を告げる。そして、監督生にしなかったのも「これ以上責務を抱え込ませたくなかった」からであり、ハリーを気にかけるうち恐らく息子のように、愛してしまったからであることをつげ、何と落涙してしまう。しかし、ダンブルドアの感情のこもった告白もシリウスの死をもたらしてしまった後悔にさいなまれるハリーには届かずかつてのような全幅の信頼はおけずにいる。

 ダンブルドアは一時魔法省のいやらしい女役人アンブリッジに校長の座を奪われ、次々に教育令を発して生徒の取り締まりを強化し、ついにはロンの兄のフレッドとジョージは魔法でホグワーツ校内をめちゃくちゃにして退学覚悟で脱出して、魔法を使った各種のいたずら用品専門店を営むが、この話があっという間に広まった、というのを読んで「これはホグワーツの伝説になるだろうな」と思ったら、次の行でハリーが同じ考えを持っていた。思わず微笑む。いくつか声を出して笑った箇所もあった。
 ハリーとチョウ・チャンはすれ違いばかりで結局チョウが新しい恋人と付き合いだしたようで自然消滅の模様。
 アンブリッジが「闇の魔術に対する防衛術」を机上のものにかえたのでハリー達は実戦経験のあるハリーのもと、特訓を重ねるが、ネビルの上達ぶりが著しかったという。結局ダンブルドアたちが来るまでハリー、ロン、ハーマイオニーのいつもの3人に加え、ルナ、ネビル、そしてロンの妹のジニーで倍の数のデス・イーターとやりあった。しかし、空中を浮遊する脳みそとかそれが襲い掛かってくるとか映画ではどう描写するのか、まあ現代では金と時間さえあれば映像化できないものはないのだが、5巻の分量を考えると3時間でもまとめきれないだろう。2部作公開もここまでの人気作ならありなのでエピソードをはしょらずやってほしい。最後のダンブルドアの告白だけでじっくりやれば30分は要するだろう。
 
 音楽。

 クライバーの「こうもり」とサバリッシュの「魔笛」は見ていない。

 そういえばもうカラヤンの1957年ベルリン・フィル来日コンサートと1959年ウィーン・フィル来日コンサートのDVD出るな。来月のカール・ベームのモーツァルト13交響曲収録DVDも欲しいが…     

 名前をだすのもいやだが2chで面白い論評(?)を見つけた。
 
 >矢代秋雄>芥川也寸志>黛敏郎>滝廉太郎>團伊玖磨>中田喜直>池辺晋一郎
>坂本龍一>佐橋俊彦>三枝成彰>山田耕筰>山本直純>岩崎琢>田中公平>加古隆>岩代太郎>先住明

東京音楽学校出身のランクつけるとしたらこんなもん?

 結構面白い。名前だけは岩崎琢、田中公平、岩代太郎以外は知っている。「先住明」は千住明のことだろう。

 しかし芥川って池辺とか団伊玖磨とか上か…坂本龍一が高すぎだね。突っ込まれてたが。

 聴いたことあるのは芥川、坂本、三枝、山田、佐橋(交響組曲ガンダムSEED,交響組曲ガンダムSEED DESTINY)、加古、千住か。団も放送でちらっと聴いたことはあるような。皆メロディアスでいい作曲家ばかりだな。
 千住明は個展コンサートを今年も開いている。ピアノ協奏曲「宿命」も演奏されている。「砂の器」(2004年版)で、ピアノ協奏曲「宿命」のピアノ・パートを担当した羽田健太郎が司会のTV番組「題名のない音楽会」でも何度か放送されているそうだし(ああ、録画しておけば…)、生で聴いたら絶対泣ける自信がある。せめてライブ録音かDVD出ないかな…

 ハリー・ポッターは主人公にそれほど感情移入できない(銀河英雄伝説のヤン・ウェンリー《もっともこいつは8巻で死ぬので-主人公を殺すとは原作者は只者ではない!何と深い!というアニメ版の感想を見たことがあるが-実質的な主人公はラインハルトだろう。その内省的で、幅広い歴史知識と権力者や流血を嫌悪する思索と後悔ばかりの人生に激しく共感したものだ。方や黒髪・黒目の「しいて言えばなかなか線の出ない若手の学者ふうで、見る人によってはハンサムといえなくもない176センチの中肉中背、一向に軍人らしくみえず軍服を着ているからこそどうにか軍人と認識される」東洋人の男性が仮託しやすい容姿でもあり、かたや「古代の名工が技術を結集して作り上げたかのような、美神と軍神がその所有をめぐって争うような、鮮烈なアイス・ブルーの双瞳と、卵形の顔、均整の極地の長身の豪奢な金髪のグリフォン」とまで形容されるラインハルトには感情移入できかねる。自信にあふれ軍事と政治に圧倒的な才能を発揮する》や映画版・2004ドラマ版「砂の器」の和賀英良に比べれば何という違いか!)が、「ガンダム」も主人公に感情移入できなかったが面白かったので私にとってそういうタイプの作品になっていくのだろう。はやく6巻、最終巻読みたいなあ。というか、5巻の訳者あとがき見たら当初予定では2003年に全巻終了予定だったのね。ローリング遅すぎ…
 まあ、6巻も謎の王子はスネイプであり、スネイプがダンブルドアを殺し、ハリーはジニーと付き合い、この巻の終わりでハリーは学校を去って親友のロンとハーマイオニーも一緒に行くことなどかなり知ってしまってはいるのだが、5巻も知っていながら非常に面白く読めたので問題ないだろう。

 ハリーには最終巻でヴォルデモートと相打ちになって死んでもらいたいと思ったが「予言」が成就されるとしたら、ヴォルデモートとの相打ちはないのだろう。「他方が生きれば一方は生きられない」のはいいかえれば「一歩が死ねば一方は生きられる」からだ。ハリーが自己の命をなげうってヴォルデモートを改心させる、というのでもなければヴォルデモートが死ねばハリーは生きられるのだ。しかしハリー・ポッターの世界は魔法で何でもありであり、作者も予言は予言として個人の選択が重要だみたいなことをいってるらしいからどうなるかはまったく予断を許さない。

 
 
  1. 2006/06/18(日) 23:51:50|
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雑記

 ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団をようやく借りられた。上下1300ページ!2週間で読めるか疑問だったが、2日で上巻を読了したのでなんとか行けそうだ。

 「妖女シスターズ」のことがたった一言出てきたり、2巻で消えたロックハートについて言及があったり、キャラへの愛情が感じられる。名前が出てきたキャラがハリーの下に集合したが、わずかながら毎巻出ている名前で、キャラが立っている。

 ハリーはチョウ・チャンと口付けしたが、「二人は手を重ねてそっと…唇と唇をぎこちなく…重ね合わせた」とか「ハリーはチョウのことがたまらなくいとしくなって抱き寄せキスをした」とかの具体的な描写はなくて、事がすんでからハリーはハーマイオニーに「キスしたの?」といわれ説明するというものだ。原著はどうなのか?しかし、「銀河英雄伝説」でラインハルトが失意の傷心に陥って(その原因は2巻にあり、2巻に張った複線が9巻で生きるとは大長編の見事な構成力!)、ヒルダに「帰らないでほしい。今夜はここにいてくれ」「今夜は一人でいることに耐えられそうにないのだ。頼む、予をひとりにしないでくれ」といって、そのままヒルダの朝帰り→父親の国務尚書フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵に「ゆうべは陛下と一緒だったのだね」といわれて、読者にことのしだいを明らかにする手法というか、作者の恥じらいに似たものを感じた。このあとのマリーンドルフ伯の娘に対する言葉と、いきなりヒルダを皇妃に迎えたいと訪ねてきたラインハルトとのやり取りは滑稽でかつ含蓄に富む。

 「西暦の18世紀に、北方の流星王といわれた小国の王(スウェーデンのカール12世のことである。ロシアのピョートル大帝を初期において圧倒した。常に陣頭に立ち、ピョートルが改革で力をつけた軍隊で再度挑んできたとき砲弾が近くに落ち「国王戦死」の報が流れたが、負傷し担架に横たわりながらなお指揮を続けた。ピョートルに結局は敗れたが、極めて印象深い人物だと思う。おなじスウェーデン王のグスタフ・アドルフは「北方の獅子王」として知られヴァレンシュタインとの決戦で戦死し、遺体は兵士と馬に踏み潰され散乱していたという。最高権力者が陣頭に立って戦うのなら、少なくとも卑怯者呼ばわりはできず、ヤンが言うように「古代の覇王の方が自ら陣頭に立って戦っただけましかもしれず、戦争をさせる側のモラルは低下する一方なのだ…」ということになろう)がいたそうだよ。18歳で即位し隣国の大軍を破り軍事的天才として知られた。三十代で死ぬまで異性にせよ同性にせよついに肉欲と縁がなかったそうだ。異常な才能というものはどこかでそれに応じた欠落を要求するものらしいな。ラインハルト陛下を見ているとそう思うよ」

 「わたしわからないわ。…陛下は私を愛していらっしゃらない。そのくらいのことは私にもわかります。陛下が求婚なさるのは義務感からです」
 「ではお前はどうなのだね。」
 「わたし?」
 「そういった、子供っぽい責任感も含めてお前は陛下を愛していらっしゃらないのかね」
 とうとう聞いてしまった、と父は思った。とうとう聞かれてしまった、と娘は思った。この種のことは聞かずにすめばそれはそれで後悔するし聞けば聞いたで同様なのだ。
「わからないわ。尊敬はしています。でも、男として、女として愛しているか」
 「やれやれ、何も陛下に限ったことではないようだね。私の自慢の娘も時には考えることではなく、感じることの方を重んじてくれたら、と思うよ。いつもでなはく、たまには、だがね」
 
 そのあとヒルダに求婚に来た、恥ずかしさ一杯のラインハルトを成熟した大人としてひとまず返す。

 そのあとのマリーンドルフの独白が面白い。

 「しかしあの二人うまくやれたんだろうか…」
 マリーンドルフ伯の生涯のなかでもこれほど真剣さと滑稽さの双方を兼ね備えた命題というものはなかった。
 
 ・・・・・

 ハリーとチョウは別れるようだがそれまでどれほどのことがあるのか?まあヴォルデモートが迫ってるので恋愛は二の次ではあろう、構成の上からも、実際のキャラクターの感情としても。

 映像の世紀20世紀を少し見た。大体ビデオにとってるが、第4集「ヒトラーの野望」と第5集「世界は地獄を見た」を。ヒトラーの回では彼を支持した人民に絶望し、彼と彼の元で行われたおぞましい蛮行を心から憎悪しつつ、「ジーク・ハイル!(勝利万歳!)」の叫びの連呼には思わず唱和。第5集ではフランスのある村の1943年のホームビデオが紹介されたあと1944年にドイツ軍によってこの村は、涙を禁じえないが、村人のほぼ全員が-当然女・子供・老人を含めて-虐殺され、現在では廃墟が、記念碑としてそのまま残っているのをみて、改めて戦慄と人類への絶望にさいなまれる。

 そしてガンダムWやターンエーガンダムを見る。しかし、ガンダムWは美形5人とか言われてるが、惜しい。キャラデザインがもう少し年上で、あと少し写実的ならそうだったが所詮はアニメ絵だ。デュオと五飛(ウーフェイ)は美形キャラから除外。まあ、それでもSEEDのキャラデザよりはいい。ヒイロとリリーナはちゃんと口付けか、せめて抱き合うくらいはするんだろうね?。ヒイロが幼少期からの戦闘訓練で不感症っぽいからそんなシーンはないのかなあ。タンクトップと短パンをやめてくれ。カトルみたいにヴァイオリンを弾いてスラックスとシャツにしろ。いや、カトルの顔が子どもっぽすぎる。性格が超いい(あらゆる人と友達になりたがっている)のにあと3年成長した容姿で出してほしかった。まあ。なかなか面白い。ナレーションで政治状況などをちゃんと説明してるのでアニメに陥りがちな説明不足(本・小説は説明そのものだからなあ、ある意味)ターンエーは宇宙での戦闘が物語終盤までなさそうなのがいやだ。主人公のロマン・ロラン-じゃなかった、ロラン・セアック、黒い肌に銀髪・緑の目という現生人類ではありえない組み合わせだが、Zガンダムのカミーユ・ビダンなみの美少年。しかし裸になりすぎだ。にもかかわらず女の子っぽすぎる。女装までやらされてたし。世界観もいやだ。地球は宇宙文明を失い退化したがようやく複葉機やラジオ放送などを備えるまでに復興してきた。しかしつきの人間は文明を保持しており、地球へ帰還するという。そこで戦争が起こるのだが、複葉機や、過去のモビルスーツを持ち出して対抗するも舞台は当然地上。地上でちまちま戦ってるんじゃない!「銀河英雄伝説」のラインハルトは戦争といえば宇宙戦争であり「単位は光秒・光年で艦艇数は万単位、惑星の地表で何キロとかやっているのは石器時代だ。偏見と承知でそう思う」といっている。まあ、それなりには楽しめそうだが。しかし、人類が経験したことのない宇宙の戦いに灼熱する感情をほとばしらせるなんていう性格づけ、よく思いついたなあ田中芳樹。戦争は面白くもあるが、当然「自分に関係ないところでの戦争ほど面白いものはないでしょうな」(田中芳樹著「七都市物語」より)であり、過去に実際に何度も大戦争があったのに、今でもそれが絶えないのはどうかしている。もはや戦争はフィクションのなかでだけ楽しむべきであろう。歴史上の戦争について読んだり見たりすることもそこに含まれるかもしれない。旧西ドイツと日本が戦争を放棄して民主的諸制度を備えた国家になっただけであっというまに世界の最高水準の経済力を身につけたことと、いつも紛争が絶えない地域での生活をみれば戦争より平和が人類に資するのは明白。無論、対外的に戦争をしていなくても民主共和政であることが必要だ。言論・学術・思想・職業選択・外国を含めた住居選択の自由・拷問の禁止などが守るべき建前として社会に根付かねばいけない。

 あいかわあず「砂の器」もいい。これをみるとやはり、ハリーには死んでいただきたい。ハッピーエンドが悪いとは言わないが、カタルシスのもたらす悲劇的高揚に比べれば効果は落ちる。

クラシックではウィルヘルム(ヴィルヘルム)・フルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」と、セルジュ・チェリビダッケ指揮のミュンヘン・フィルのドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」の、ともにライブ録音を聞いた。

 二人ともテンポが遅い。それは重厚さにつながるが、野暮ったくもある。ただ、私には名演でない・名演であるなどといえるほど音楽的素養はないので、ライブの迫力を味わいたかったが、フルトヴェングラーのは拍手がカットされており、チェリのは、音質にほとんどこだわりがない私にさえ、明らかに録音状態が悪いのがわかった。拍手がかなりながくつづいており、それは良かったが。

 非常に取り留めなく書いてしまった。
  1. 2006/06/12(月) 23:50:28|
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スタートレック

 アメリカのSFドラマ「スタートレック」の内、「ヴォイジャー」の第1話・第2話を見た。5年以上前にテレビで中盤~後半は見て、録画もかなりしているが、第1話などははじめて見る。


 voyager.jpg


 USSヴォイジャー。艦長キャスリン・ジェインウェイ大佐。乗員141名。イントレピッド級(他に「アンバサダー級」「プラネット級」「ギャラクシー級」など)。大佐が指揮する艦にしては乗員数が不足と思うが(1個中隊程度?尉官で勤まる人数と思う)、未来の軍隊に現在の階級が率いる平均人数を割り当てることもできないか。
 

 この「スタートレック」は、今から約350年後、西暦2300年代後半、地球人・及び地球は惑星連邦という組織に属し、しかも、ワープ技術は遅れて発明したにもかかわらず宇宙艦隊の本部は地球のパリにおかれ、宇宙艦隊士官学校は同じく地球のサンフランシスコにあるという設定である。異星人は多く登場し、地球人に酷似しているものから、グロテスクなもの、人間型でないものなど多数いる。完璧な水準の自動翻訳機により、コミュニケーションに困ることはない。

 「ヴォイジャー」は、前作「ディープ・スペース・ナイン」を受け継いで、連邦最新鋭艦「USS-ヴォイジャー」艦長のキキャスリン・ジェインウェイ大佐(40代くらいの女性艦長)を主人公に、7万光年彼方の惑星連邦の調査が及んでいない宇宙域にとばされたヴォイジャーが太陽系の地球に帰還することを目指すという物語で、SF的状況での毎回のように襲い来る艦の危機、大人な人間ドラマが魅力的である。しかも超大長編であり、基本的に一話完結ながら、確実に物語を終結に向かわせている。「ヴォイジャー」も5年ほどの放送を経て、最大ワープ速度で75年かかるといわれた地球への帰還を作中時間でも地球時間の約5年ほどで帰還している。

 キャラクターは実に多彩で魅力的である。前作のディープ・スペース・ナインでは流動体生物といわれるオドーが何十話にもわたって、バルカン人の女性士官キラ・ネリス少佐への愛情を抱き続けながら告白したのは未来に取り残されたオドーであり、愛は実らなかったが、「やっと告白したか」という感じであった。「ヴォイジャー」では、緊急用医療ホログラムの「ドクター」(完全なヴァーチャル存在で触れることもできる)が、旅の途中でひろった、凶悪な「ボーグ」に取り込まれた女性に恋をするが、彼女は人間らしい感情を取り戻す途中であり、恋愛感情を抱いたのは副長に対してであった。艦内には、理想的な未来技術があふれ(完全な仮想世界に遊べるホロデッキ、音声注文で元素から食事を瞬時に作るレプリケーターなど)、人間らしい感情を知らないボーグの女性にドクターは、自分が彼女に好意を持ってるくせにホロデッキでデートの練習をしてみるように言うのである。「遅すぎるが体験しないよりはるかにましだ」というが、ドクター自身、当初は単なるプラグラムとみなされており、ジェインウェイ艦長が、恐らくヴォイジャー艦内ではじめてホログラムの人権を認めて、成長する機会が与えられたのだ。外見はモデルとなった作品世界中の実在の医者であり、禿げた中年のおじさんである。作品はかなり破天荒に舞台が入れ替わるから、地球に帰還したヴォイジャークルーと時間を越えて通信する状況もあり、そこではドクターは立派に綺麗な女性と恋仲になっているのである。ジェインウェイも、提督に昇進した未来の自分と通信をしている。

 連邦宇宙艦隊の提督の息子で問題児であった、ハンサムな女たらしのトーマス・ユージン・パリス(トム・パリス)の更正と気性の激しいクリンゴン人と地球人との混血のベラナ・トレスとの長期航宙を通しての恋愛と結婚、新任少尉として初任務だった士官学校時代はオーケストラでクラリネットを弾いていたというハリー・キム(当然朝鮮系の子孫)の成長、ドクターの成長や葛藤、ジェインウェイン艦長の恋や、専門用語が入り乱れまくるハードなSF的内容など一定年齢以上を対象にしたSFドラマ。この水準でドラマを描ききれるところをみると、銀河英雄伝説は十分に実写化できると思う。なにしろ「ディープ・スペース・ナイン」はDVD48枚組み、133時間であり、これは銀河英雄伝説の本伝DVD28枚組み、56時間を大幅に超過しているのだ。しかし、値段は「ディープ・スペース・ナイン」が約12万8000円で、日本語字幕及び吹き替え音声、英語音声は5.1ch収録なのに、銀河英雄伝説は約24万円もする。なぜ日米の物価はかほどに違うか?

 「スタートレック」は地球人類の未来の歴史であり、その点では「遠い遠い昔、別の銀河系で…」と語られる「スター・ウォーズ」より、「銀河英雄伝説」や「ガンダム」に近いからスター・ウォーズより支持するが、惜しむらくは、惑星連邦の方針が基本的に武力衝突回避であるので、戦闘は少なく(ないわけではない。「ディープ・スペース・ナイン」のラストは、主人公の黒人士官シスコ大佐が司令官をつとめる宇宙ステーション「ディープ・スペース・ナイン」が奮闘空しくカーデシア帝国軍に占領されて終わる)、過酷な宇宙環境や未知の宇宙生命とのSF的な設定での戦いや知識に基づいた解決が多い点で、人間ドラマとしては実に秀逸なだけに、多少、SFとしては迫力不足である。この人間ドラマのよさと戦闘の迫力を一致させたのが、銀河英雄伝説やガンダムであるのだが、ともに視覚媒体としてはアニメを選んでいる以上、リアリティの面ではるかにスター・ウォーズとスタートレックに及ばない。理想は銀河英雄伝説、ガンダムともスタートレッククオリティで実写化することである。小説が原作であり最高の魅力を放っている銀河英雄伝説は、翻訳するのが一番だけれども、実写化が与えるわかりやすさにはおよぶまい。

 最新作「エンタープライズ」は2100年代に舞台が戻っているそうだが見れていない。ホシ・サトーという人物がレギュラーらしいので見たいのだが…
  1. 2006/06/06(火) 00:06:22|
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