Sのつれづれ日記

 ここでは日々の出来事や思ったことなどを中心に書いていきます

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ガンダムW・ドラクエ4・スタートレックディープ・スペース・ナイン

 ガンダムW第1巻(全5巻)・ドラクエ4第4巻(最終巻)・スタートレックディープ・スペース・ナイン第1巻の小説を買った。

 ドラクエ4は文庫で絶対全4冊持っていたはずだが、最終巻がどこへ行ったかどうしても見つからない。ブックオフにハードカバー版だが105円で売っていたので購入。
 
 ガンダムWは当然原作たるアニメにはまったので店頭にあった1巻のみ購入。

 「スタートレック ディープ・スペース・ナイン」は第1巻であり、冒頭に、侵略生命体ボーグと惑星連邦宇宙艦隊との闘いが書かれているので買った。動員された連邦宇宙艦は40隻とのことで、西暦2300年代後半の事ながら、ガンダムや銀河英雄伝説との戦闘描写・未来設定の差が出ていて面白い。人類の未来史を架空構築することはとりもなおさずその構築者が現在、そして過去の人類史をどのように捉えているかを如実に反映するものだ。スタートレックでは基本的に銀河英雄伝説と同じように大型艦と艦載機のみで人型機動兵器などは出現しない。後に「ディープ・スペース・ナイン」-深宇宙第9ステーション- の司令官となる黒人の主人公、ベンジャミン・シスコ中佐(後作中で大佐)がこのウルフ359星系での戦闘に参加しており、搭乗艦を失い、惑星連邦軍も大敗を喫した。これをプロローグに物語は始まるのである。
 
 翻訳書らしく、びっしり書き込まれた人物・心理描写・状況・SF設定がハードそうだ。
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  1. 2006/06/27(火) 01:22:41|
  2. 本・小説
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フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲全集

 「フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲全集」というCDが図書館にあったので借りてみた。

 ライブ録音が意外に少なかったが、第9は1951年のバイロイト祝祭管とのもので良いと思った。しかし「これが鮮明なステレオで残されていたら恐れ多くて誰も以後の録音などしないだろう」という吉松隆の評は大げさだ。「あまっちょろい人間賛歌など吹き飛ばして壮麗に鳴る名演」とも書いてるが、「甘っちょろい人間賛歌」そのものの曲だろう・・・「演奏はそうではない」と言いたいのだろうが、人間賛歌以外に、この曲を変化させてしまう、しかも良い方向での、というのが想像できない。

 第8もライブだった。1948年(ストックホルム・フィル)。もうクラシックの新しい曲をなかなか新しく耳と頭に入れられないので、好きな曲の違う演奏を求めることになるが、スタジオ録音も面白く感じられず、熱のあるライブを強く求めている。

 「英雄」はすでに所有している1952年、ウィーン・フィルとのスタジオ録音盤。ライブでなかったのか。

 解説書の、フルトヴェングラーについて極めて客観的に書かれていて何気なく後ろのページを見たら「宇野功芳」とあったので、宇野がこんな客観的筆致で書けるのか、と思ったら、フルトヴェングラーについては藤田由之で、「フルトヴェングラーのベートーヴェンの録音の種類や評価」が宇野の文章だった。
  1. 2006/06/26(月) 01:17:47|
  2. 音楽
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ファイナルファンタジーオーケストラコンサートVOICES

ファイナルファンタジーVOICES特典DISCより植松インタビュー

 (オーケストラについて)今回のコンサートは、オーケストラコンサートというより・・・いろんな歌手の方が出てきて、合唱団、ロック・バンドありオペラあり歌謡ショー?みたいな感じですよね。
 オーケストラ音楽を退屈なものにしたくない、楽しいんだよと実体験していただきたい。やっぱね、クラシックってやっぱつまんないんですよ、こういうとクラシックの関係者に怒られるかもしれないけど(笑)。いや僕はクラシック好きなんですよ。
 やっぱ3分間のJ-POPを聴き慣れてる子にマーラーの1時間のシンフォニーってのは厳しいですよ。それで「クラシックってつまらない」ってなってしまったら惜しい。それでいきなりマーラーとかベートーヴェンを聴かせて興味なくさせるよりも彼らが好きなゲームやアニメでオーケストラのコンサートにコンサートに行って・・・
 彼らが普段聴いてるアニメとかゲームの音楽をゲーム音楽をオーケストラで聴いてオーケストラってかっこいいんだ、迫力ある、綺麗だって思ってもらえたら未来が見えてくると思うんですよね、今のままだと廃れてる一方、凄くコアなクラシックファンの間では楽しまれるかもしれないですけど一般には広まっていかないと思うんですよ。だからそういうあんな贅沢な音楽、バンドみたいなもんですよね。
 80人からなる・・・しかもその80人が6歳とかから十何年、何十年とヴァイオリンとかピアノとかそのものだけに特化した人たちが80人集まってるものすごい贅沢なバンドなんですよ。
 あのバンド音楽をこの先どんどんどんどん発展させていければいいなと、ゲーム音楽がそのきっかけになってくれれば非常に光栄ですしね。

 (やりたいこと)ロックバンドとオーケストラの融合ってのはもう少しやってみたいですね。それとは別に、「オーケストラコンサート」とは別に・・・ロックバンド主体でオーケストラとやれればと思ってますね
 
 ・・・(以上ファイナルファンタジー・オーケストラ・コンサート「VOICES」特典ディスク植松伸夫インタビューより一部の大意)
 
 私はゲーム音楽からクラシック(器楽)に入ったという点、カラヤンの諸映像作品によってではあるが「オーケストラという器楽合奏集団とは何とかっこよいのだろう。流麗な容姿の指揮者とはなんと高貴で、指揮とは音楽技能はこれほど壮麗なものとして目に映るものなのか!」と思わされた点では見事にしてやられたなあ。
 私もクラシックは実はつまらないのではないかと思う。室内楽や交響楽のコンサートには何回か行って十分満足したが、ブラームスの第4交響曲が大好きとか、バーンスタインのマーラーの第9交響曲のDVDで泣いたとか、クラシックに感動したふりをしているだけで結局何もわかってないのではなかろうか。特にまだマーラーはつまらない。第9交響曲で泣いたのはバーンスタインの情熱的な指揮姿にだまされたのだ。とても全曲通してめったに聴けるものではない。

 ためしにマーラーの第1交響曲を唯一持っているCD、メータ指揮イスラエル・フィルで久しぶりに聴いてみた。
 やっぱつまんねな。かといって「VOICES」も、2004年の普通のクラシックコンサート形式でのの方がはるかにいいと思ったりするのだが・・・
 コンサート形式のオペラ「マリアとドラクゥ」はいい。日本語歌唱で、陳腐な筋書きだがドラマティックで、「ああ、イタリア人はヴェルディをこんな風に聴いてるのか」とわかったつもりに慣れる。何を言ってるのかわかるというのは極めて大きい。日本の伝統芸能である能や狂言がまったくわからないのは「同じ日本人なのに何を言っているのかわからない」からだ。「勉強すればいい」のだろうが、興味を持てればそれなりに調べるのである。興味をそもそも持たせてくれないのでは、私似合っていないジャンルとしか思えない。

 しかし、カラヤンの1959年ウィーン・フィルとの来日公演のブラームスの第1・第4交響曲、シューベルトの「未完成交響曲」は非常に良いなあ。ベルリン・フィルとのワーグナーのマイスタージンガー前奏曲、R・シュトラウス(バーンスタインはユダヤ人問題もあり、ナチス・ドイツの音楽文化政策における要職にあった彼が嫌いだったそうだ)の「ドンファン」(私にとってはR・シュトラウスは何の魅力もないがカラヤン、ベルリン・フィルの演奏によってこの曲に関しては「意外といい曲」と思わされそうになった)、ベートーヴェンの第5交響曲、名古屋市公会堂でのアンコール曲バッハ「アリア」、どれも素晴らしかった。ヘビーローテーションで回すDVDになりそうだ。なんだかんだいって「VOICES」も「素敵だね」とか、このコンサートでは珍しい器楽のみの「ファイナルファンタジー」、ミス・アンジェラ・アキ(美人!)の「EYES ON ME」とか「Melodies of Life」、アンコール2曲が非常によく(「スウィング・de・チョコボ」(指揮者アーニー・ロス編曲)と「再臨:片翼の天使《植松伸夫がキーボード演奏で参加、BLACK MAGESというバンドを率いてロックバンドとオーケストラ、合唱のコラボレート曲として「片翼の天使」を再構成》」)のあとの大スタンディングオベーション(FFのファンはおとなしく、植松の親父ギャグは最初から中盤にかけてすべりまくっていたがコンサートの終わりに燃えるんだよなあ)で急遽「再臨:片翼の天使」を演奏するなどDVDを見てるだけのこちらも実に楽しい。指揮者アーニー・ロスもオケのメンバーも笑顔たっぷりだし、良かった。平和極まる風景である。

 モノクロ・不鮮明な半世紀近く前のクラシックの名演と今年行われたライトと大音響、何人もの歌手、ロックバンド、アカペラグループなどを総動員した新しいコンサートの対比は興味深く音楽について考えさせられる。しかし、「音楽は素晴らしいが世界を変える力はない」くらいのある程度冷めた距離感を持ってるとかっこよく思えるのも確かだ。

 

ちなみにAmazonでは「VOICES」はDVD4位、カラヤンのは約190位であった・・・

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スタインウェイでEYES ON MEを弾き語りするアンジェラ・アキ。

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 マイクが羨・・・

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 ブラームスの交響曲第4番を指揮するヘルベルト・フォン・カラヤン

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 終演後演奏者の肩を手を回して労をねぎらうカラヤン

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 歌舞伎を観劇するヘルベルト、エリエッテ夫妻
  1. 2006/06/23(金) 18:19:23|
  2. 音楽
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カラヤン・ライブ・イン・ジャパン1957&1959、ファイナルファンタジーコンサート

 カラヤン指揮ベルリン・フィル1957年来日コンサート、ウィーン・フィル1959年来日コンサートのDVDを1日前に入手。ついでにファイナルファンタジー・オーケストラコンサート「VIOCES」も見る。

 カラヤンのDVDは静止画(スライドショーのように写真が変わる)部分が結構あるのだが、それを突き抜けて興奮できる。特にウィーン・フィルとのブラームス交響曲第1番・第4番、シューベルトの交響曲第「7」(とケースには表記)番「未完成」は映像ではクールに弾いているように見えて出てくる音は熱い。第4番、「未完成」はモノラルだが鮮明で歴史的映像についてくる音としては十分鑑賞に堪える。カラヤンの優雅な指揮姿を堪能できる。モノクロ画像が彼の顔立ちの彫りの深さを逆により浮き彫りにしている。

 ニュース映像もよい。ステレオ音声の「美しき青きドナウ」がバックに流れるのだが、この演奏の映像はなかったのだろうか?あれば使ってると思うので音だけ現存しているのだろう。エリエッテ夫人は本当に美しく、カラヤンとは30歳差で親子といえるほどはなれているはずだが、カラヤンが若々しいので、年上の夫の夫婦に十分見える。

 行く先々で花束・握手の嵐。二枚目超大物俳優の来日のようだ。1950年代後半、彼はまさしく「スター」だったんだなあ。

 ファイナルファンタジーコンサートは今年2月にパシフィコ横浜で行われたもの。4000人分のチケットは30分で完売したという。(見たのはまだ途中)
 オーケストラはこのコンサートのために編成された「プリマ・ビスタ・フィルハーモニー管弦楽団」。指揮はアーニー・ロスといい、昨年のファイナルファンタジー北米公演を何回か指揮したようだ。
 ストックホルム、フィラデルフィア、シカゴ、ワシントン、字幕には出てなかったが「プラーグ」といっていたので恐らくプラハでもゲーム音楽の交響曲の演奏会をやるそうだ。更に「プレイ」というゲーム音楽のコンサートがあり、植松伸夫がオープニングのファンファーレを書いたとの事。
 しかし、欧米でのゲーム音楽の演奏会でドラゴンクエストの音楽が演奏されるかはなはだ疑問だ。植松は結構日本のゲームにかかわる人として有名(といってもゲーム愛好者にだが)だが、すぎやまこういちの知名度は日本でこそ植松に匹敵するか上回っているが海外では植松に比較すればかなり劣るようなのだ。

 「プレイ」はすでの行われたようで植松のページには「28歳のアメリカ人とドイツ人が日本のゲーム音楽をやるとは日本の若者も奮起してもらいたい」と書いていたが、演奏曲目が激しく気になる。

 ハリー・ポッター6巻を図書館で予約したが4冊しかないのに予約待ち「98件」だった・・・
  1. 2006/06/22(木) 19:39:46|
  2. 音楽
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色々

 ハリー・ポッターの5巻をとっくに読了。ルナ・ラブグッドは新キャラだがいい味出していた。キャラ造形がうまいですね。

 スネイプの過去を見たハリーは、ハリーの親父ジェームスとシリウス(とてもハンサムらしい。ロンの兄のビルもとてもハンサムとある。ハリーは一度もハンサムとされたことはない。しかし、ハリー・ポッターの人物描写をよんでも銀河英雄伝説ほど、キャラクターの容姿の徹底描写にこだわった小説はないと思う)がスネイプを「存在そのものがな…」というだけでいじめていたのを見る。さかさづりにしてパンツ皆に見せてたよ。しまいには「こいつのパンツ取るか?」とまで…。そりゃ、スネイプ屈辱だよ。その息子がジェームスそっくりに校則破りまくりなのを見て偏見を持つだろうよ。ダンブルドアは「スネイプ先生がジェームスに対する感情を克服できると思っていたのだが…」と言ってたが…ハリーもショックを受けスネイプにおもわず同情するが、シリウスが死亡したことにより、ダンブルドアへの怒りもあいまってまたスネイプ憎しになってしまった。ハリーの親父どもはひどすぎだ。まあシリウスがいうように15歳では判断力が乏しいのはわかるが…。ルーピンは見ていただけで、明らかに悪いことだと思いながら注意できなかった。私も結局こんな立場だろう。不正義が行われているのに怖いので注意できないのだ。とても人間らしいがやりきれないなあ。不思議少女ルナも持ち物を隠されたりいじめられてた。ハリーは同情して、少なくとも親父とは違い不正義に憤りと義憤を覚えるキャラではあるのは救われる。田中芳樹がいうように「弱いものいじめする奴だけは(魅力ある物語の)主人公になれない」のだ。

 思春期イライラハリーには感情移入できず。もっとも感情移入できるのは老校長アルバス・ダンブルドアだ。復活したヴォルデモートと魔法省(魔法界にも政府がある。普通の人間の首相《ハリー達は1979年か1980年生まれなので、第5巻は1995年ということになり、確かイギリスはメイジャー首相だったか?端正な紳士だったよね。女性スキャンダルで追いつめられてた記憶があるが》は魔法使いの存在を知っていて、ヴォルデモート復活を警告されている)内での戦闘では6人のデス・イーター(死喰い人)を張り付けにし、ヴォルデモートを撃退。ハリーに、色々と真相を明かす。「一方が生きる限り他方は生きられない」つまり、ヴォルデモートとの関係は生か死かという、普段はインチキだが神がかった予言をしたトレローニー先生の予言を告げる。そして、監督生にしなかったのも「これ以上責務を抱え込ませたくなかった」からであり、ハリーを気にかけるうち恐らく息子のように、愛してしまったからであることをつげ、何と落涙してしまう。しかし、ダンブルドアの感情のこもった告白もシリウスの死をもたらしてしまった後悔にさいなまれるハリーには届かずかつてのような全幅の信頼はおけずにいる。

 ダンブルドアは一時魔法省のいやらしい女役人アンブリッジに校長の座を奪われ、次々に教育令を発して生徒の取り締まりを強化し、ついにはロンの兄のフレッドとジョージは魔法でホグワーツ校内をめちゃくちゃにして退学覚悟で脱出して、魔法を使った各種のいたずら用品専門店を営むが、この話があっという間に広まった、というのを読んで「これはホグワーツの伝説になるだろうな」と思ったら、次の行でハリーが同じ考えを持っていた。思わず微笑む。いくつか声を出して笑った箇所もあった。
 ハリーとチョウ・チャンはすれ違いばかりで結局チョウが新しい恋人と付き合いだしたようで自然消滅の模様。
 アンブリッジが「闇の魔術に対する防衛術」を机上のものにかえたのでハリー達は実戦経験のあるハリーのもと、特訓を重ねるが、ネビルの上達ぶりが著しかったという。結局ダンブルドアたちが来るまでハリー、ロン、ハーマイオニーのいつもの3人に加え、ルナ、ネビル、そしてロンの妹のジニーで倍の数のデス・イーターとやりあった。しかし、空中を浮遊する脳みそとかそれが襲い掛かってくるとか映画ではどう描写するのか、まあ現代では金と時間さえあれば映像化できないものはないのだが、5巻の分量を考えると3時間でもまとめきれないだろう。2部作公開もここまでの人気作ならありなのでエピソードをはしょらずやってほしい。最後のダンブルドアの告白だけでじっくりやれば30分は要するだろう。
 
 音楽。

 クライバーの「こうもり」とサバリッシュの「魔笛」は見ていない。

 そういえばもうカラヤンの1957年ベルリン・フィル来日コンサートと1959年ウィーン・フィル来日コンサートのDVD出るな。来月のカール・ベームのモーツァルト13交響曲収録DVDも欲しいが…     

 名前をだすのもいやだが2chで面白い論評(?)を見つけた。
 
 >矢代秋雄>芥川也寸志>黛敏郎>滝廉太郎>團伊玖磨>中田喜直>池辺晋一郎
>坂本龍一>佐橋俊彦>三枝成彰>山田耕筰>山本直純>岩崎琢>田中公平>加古隆>岩代太郎>先住明

東京音楽学校出身のランクつけるとしたらこんなもん?

 結構面白い。名前だけは岩崎琢、田中公平、岩代太郎以外は知っている。「先住明」は千住明のことだろう。

 しかし芥川って池辺とか団伊玖磨とか上か…坂本龍一が高すぎだね。突っ込まれてたが。

 聴いたことあるのは芥川、坂本、三枝、山田、佐橋(交響組曲ガンダムSEED,交響組曲ガンダムSEED DESTINY)、加古、千住か。団も放送でちらっと聴いたことはあるような。皆メロディアスでいい作曲家ばかりだな。
 千住明は個展コンサートを今年も開いている。ピアノ協奏曲「宿命」も演奏されている。「砂の器」(2004年版)で、ピアノ協奏曲「宿命」のピアノ・パートを担当した羽田健太郎が司会のTV番組「題名のない音楽会」でも何度か放送されているそうだし(ああ、録画しておけば…)、生で聴いたら絶対泣ける自信がある。せめてライブ録音かDVD出ないかな…

 ハリー・ポッターは主人公にそれほど感情移入できない(銀河英雄伝説のヤン・ウェンリー《もっともこいつは8巻で死ぬので-主人公を殺すとは原作者は只者ではない!何と深い!というアニメ版の感想を見たことがあるが-実質的な主人公はラインハルトだろう。その内省的で、幅広い歴史知識と権力者や流血を嫌悪する思索と後悔ばかりの人生に激しく共感したものだ。方や黒髪・黒目の「しいて言えばなかなか線の出ない若手の学者ふうで、見る人によってはハンサムといえなくもない176センチの中肉中背、一向に軍人らしくみえず軍服を着ているからこそどうにか軍人と認識される」東洋人の男性が仮託しやすい容姿でもあり、かたや「古代の名工が技術を結集して作り上げたかのような、美神と軍神がその所有をめぐって争うような、鮮烈なアイス・ブルーの双瞳と、卵形の顔、均整の極地の長身の豪奢な金髪のグリフォン」とまで形容されるラインハルトには感情移入できかねる。自信にあふれ軍事と政治に圧倒的な才能を発揮する》や映画版・2004ドラマ版「砂の器」の和賀英良に比べれば何という違いか!)が、「ガンダム」も主人公に感情移入できなかったが面白かったので私にとってそういうタイプの作品になっていくのだろう。はやく6巻、最終巻読みたいなあ。というか、5巻の訳者あとがき見たら当初予定では2003年に全巻終了予定だったのね。ローリング遅すぎ…
 まあ、6巻も謎の王子はスネイプであり、スネイプがダンブルドアを殺し、ハリーはジニーと付き合い、この巻の終わりでハリーは学校を去って親友のロンとハーマイオニーも一緒に行くことなどかなり知ってしまってはいるのだが、5巻も知っていながら非常に面白く読めたので問題ないだろう。

 ハリーには最終巻でヴォルデモートと相打ちになって死んでもらいたいと思ったが「予言」が成就されるとしたら、ヴォルデモートとの相打ちはないのだろう。「他方が生きれば一方は生きられない」のはいいかえれば「一歩が死ねば一方は生きられる」からだ。ハリーが自己の命をなげうってヴォルデモートを改心させる、というのでもなければヴォルデモートが死ねばハリーは生きられるのだ。しかしハリー・ポッターの世界は魔法で何でもありであり、作者も予言は予言として個人の選択が重要だみたいなことをいってるらしいからどうなるかはまったく予断を許さない。

 
 
  1. 2006/06/18(日) 23:51:50|
  2. 雑記
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雑記

 ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団をようやく借りられた。上下1300ページ!2週間で読めるか疑問だったが、2日で上巻を読了したのでなんとか行けそうだ。

 「妖女シスターズ」のことがたった一言出てきたり、2巻で消えたロックハートについて言及があったり、キャラへの愛情が感じられる。名前が出てきたキャラがハリーの下に集合したが、わずかながら毎巻出ている名前で、キャラが立っている。

 ハリーはチョウ・チャンと口付けしたが、「二人は手を重ねてそっと…唇と唇をぎこちなく…重ね合わせた」とか「ハリーはチョウのことがたまらなくいとしくなって抱き寄せキスをした」とかの具体的な描写はなくて、事がすんでからハリーはハーマイオニーに「キスしたの?」といわれ説明するというものだ。原著はどうなのか?しかし、「銀河英雄伝説」でラインハルトが失意の傷心に陥って(その原因は2巻にあり、2巻に張った複線が9巻で生きるとは大長編の見事な構成力!)、ヒルダに「帰らないでほしい。今夜はここにいてくれ」「今夜は一人でいることに耐えられそうにないのだ。頼む、予をひとりにしないでくれ」といって、そのままヒルダの朝帰り→父親の国務尚書フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵に「ゆうべは陛下と一緒だったのだね」といわれて、読者にことのしだいを明らかにする手法というか、作者の恥じらいに似たものを感じた。このあとのマリーンドルフ伯の娘に対する言葉と、いきなりヒルダを皇妃に迎えたいと訪ねてきたラインハルトとのやり取りは滑稽でかつ含蓄に富む。

 「西暦の18世紀に、北方の流星王といわれた小国の王(スウェーデンのカール12世のことである。ロシアのピョートル大帝を初期において圧倒した。常に陣頭に立ち、ピョートルが改革で力をつけた軍隊で再度挑んできたとき砲弾が近くに落ち「国王戦死」の報が流れたが、負傷し担架に横たわりながらなお指揮を続けた。ピョートルに結局は敗れたが、極めて印象深い人物だと思う。おなじスウェーデン王のグスタフ・アドルフは「北方の獅子王」として知られヴァレンシュタインとの決戦で戦死し、遺体は兵士と馬に踏み潰され散乱していたという。最高権力者が陣頭に立って戦うのなら、少なくとも卑怯者呼ばわりはできず、ヤンが言うように「古代の覇王の方が自ら陣頭に立って戦っただけましかもしれず、戦争をさせる側のモラルは低下する一方なのだ…」ということになろう)がいたそうだよ。18歳で即位し隣国の大軍を破り軍事的天才として知られた。三十代で死ぬまで異性にせよ同性にせよついに肉欲と縁がなかったそうだ。異常な才能というものはどこかでそれに応じた欠落を要求するものらしいな。ラインハルト陛下を見ているとそう思うよ」

 「わたしわからないわ。…陛下は私を愛していらっしゃらない。そのくらいのことは私にもわかります。陛下が求婚なさるのは義務感からです」
 「ではお前はどうなのだね。」
 「わたし?」
 「そういった、子供っぽい責任感も含めてお前は陛下を愛していらっしゃらないのかね」
 とうとう聞いてしまった、と父は思った。とうとう聞かれてしまった、と娘は思った。この種のことは聞かずにすめばそれはそれで後悔するし聞けば聞いたで同様なのだ。
「わからないわ。尊敬はしています。でも、男として、女として愛しているか」
 「やれやれ、何も陛下に限ったことではないようだね。私の自慢の娘も時には考えることではなく、感じることの方を重んじてくれたら、と思うよ。いつもでなはく、たまには、だがね」
 
 そのあとヒルダに求婚に来た、恥ずかしさ一杯のラインハルトを成熟した大人としてひとまず返す。

 そのあとのマリーンドルフの独白が面白い。

 「しかしあの二人うまくやれたんだろうか…」
 マリーンドルフ伯の生涯のなかでもこれほど真剣さと滑稽さの双方を兼ね備えた命題というものはなかった。
 
 ・・・・・

 ハリーとチョウは別れるようだがそれまでどれほどのことがあるのか?まあヴォルデモートが迫ってるので恋愛は二の次ではあろう、構成の上からも、実際のキャラクターの感情としても。

 映像の世紀20世紀を少し見た。大体ビデオにとってるが、第4集「ヒトラーの野望」と第5集「世界は地獄を見た」を。ヒトラーの回では彼を支持した人民に絶望し、彼と彼の元で行われたおぞましい蛮行を心から憎悪しつつ、「ジーク・ハイル!(勝利万歳!)」の叫びの連呼には思わず唱和。第5集ではフランスのある村の1943年のホームビデオが紹介されたあと1944年にドイツ軍によってこの村は、涙を禁じえないが、村人のほぼ全員が-当然女・子供・老人を含めて-虐殺され、現在では廃墟が、記念碑としてそのまま残っているのをみて、改めて戦慄と人類への絶望にさいなまれる。

 そしてガンダムWやターンエーガンダムを見る。しかし、ガンダムWは美形5人とか言われてるが、惜しい。キャラデザインがもう少し年上で、あと少し写実的ならそうだったが所詮はアニメ絵だ。デュオと五飛(ウーフェイ)は美形キャラから除外。まあ、それでもSEEDのキャラデザよりはいい。ヒイロとリリーナはちゃんと口付けか、せめて抱き合うくらいはするんだろうね?。ヒイロが幼少期からの戦闘訓練で不感症っぽいからそんなシーンはないのかなあ。タンクトップと短パンをやめてくれ。カトルみたいにヴァイオリンを弾いてスラックスとシャツにしろ。いや、カトルの顔が子どもっぽすぎる。性格が超いい(あらゆる人と友達になりたがっている)のにあと3年成長した容姿で出してほしかった。まあ。なかなか面白い。ナレーションで政治状況などをちゃんと説明してるのでアニメに陥りがちな説明不足(本・小説は説明そのものだからなあ、ある意味)ターンエーは宇宙での戦闘が物語終盤までなさそうなのがいやだ。主人公のロマン・ロラン-じゃなかった、ロラン・セアック、黒い肌に銀髪・緑の目という現生人類ではありえない組み合わせだが、Zガンダムのカミーユ・ビダンなみの美少年。しかし裸になりすぎだ。にもかかわらず女の子っぽすぎる。女装までやらされてたし。世界観もいやだ。地球は宇宙文明を失い退化したがようやく複葉機やラジオ放送などを備えるまでに復興してきた。しかしつきの人間は文明を保持しており、地球へ帰還するという。そこで戦争が起こるのだが、複葉機や、過去のモビルスーツを持ち出して対抗するも舞台は当然地上。地上でちまちま戦ってるんじゃない!「銀河英雄伝説」のラインハルトは戦争といえば宇宙戦争であり「単位は光秒・光年で艦艇数は万単位、惑星の地表で何キロとかやっているのは石器時代だ。偏見と承知でそう思う」といっている。まあ、それなりには楽しめそうだが。しかし、人類が経験したことのない宇宙の戦いに灼熱する感情をほとばしらせるなんていう性格づけ、よく思いついたなあ田中芳樹。戦争は面白くもあるが、当然「自分に関係ないところでの戦争ほど面白いものはないでしょうな」(田中芳樹著「七都市物語」より)であり、過去に実際に何度も大戦争があったのに、今でもそれが絶えないのはどうかしている。もはや戦争はフィクションのなかでだけ楽しむべきであろう。歴史上の戦争について読んだり見たりすることもそこに含まれるかもしれない。旧西ドイツと日本が戦争を放棄して民主的諸制度を備えた国家になっただけであっというまに世界の最高水準の経済力を身につけたことと、いつも紛争が絶えない地域での生活をみれば戦争より平和が人類に資するのは明白。無論、対外的に戦争をしていなくても民主共和政であることが必要だ。言論・学術・思想・職業選択・外国を含めた住居選択の自由・拷問の禁止などが守るべき建前として社会に根付かねばいけない。

 あいかわあず「砂の器」もいい。これをみるとやはり、ハリーには死んでいただきたい。ハッピーエンドが悪いとは言わないが、カタルシスのもたらす悲劇的高揚に比べれば効果は落ちる。

クラシックではウィルヘルム(ヴィルヘルム)・フルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」と、セルジュ・チェリビダッケ指揮のミュンヘン・フィルのドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」の、ともにライブ録音を聞いた。

 二人ともテンポが遅い。それは重厚さにつながるが、野暮ったくもある。ただ、私には名演でない・名演であるなどといえるほど音楽的素養はないので、ライブの迫力を味わいたかったが、フルトヴェングラーのは拍手がカットされており、チェリのは、音質にほとんどこだわりがない私にさえ、明らかに録音状態が悪いのがわかった。拍手がかなりながくつづいており、それは良かったが。

 非常に取り留めなく書いてしまった。
  1. 2006/06/12(月) 23:50:28|
  2. 雑記
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スタートレック

 アメリカのSFドラマ「スタートレック」の内、「ヴォイジャー」の第1話・第2話を見た。5年以上前にテレビで中盤~後半は見て、録画もかなりしているが、第1話などははじめて見る。


 voyager.jpg


 USSヴォイジャー。艦長キャスリン・ジェインウェイ大佐。乗員141名。イントレピッド級(他に「アンバサダー級」「プラネット級」「ギャラクシー級」など)。大佐が指揮する艦にしては乗員数が不足と思うが(1個中隊程度?尉官で勤まる人数と思う)、未来の軍隊に現在の階級が率いる平均人数を割り当てることもできないか。
 

 この「スタートレック」は、今から約350年後、西暦2300年代後半、地球人・及び地球は惑星連邦という組織に属し、しかも、ワープ技術は遅れて発明したにもかかわらず宇宙艦隊の本部は地球のパリにおかれ、宇宙艦隊士官学校は同じく地球のサンフランシスコにあるという設定である。異星人は多く登場し、地球人に酷似しているものから、グロテスクなもの、人間型でないものなど多数いる。完璧な水準の自動翻訳機により、コミュニケーションに困ることはない。

 「ヴォイジャー」は、前作「ディープ・スペース・ナイン」を受け継いで、連邦最新鋭艦「USS-ヴォイジャー」艦長のキキャスリン・ジェインウェイ大佐(40代くらいの女性艦長)を主人公に、7万光年彼方の惑星連邦の調査が及んでいない宇宙域にとばされたヴォイジャーが太陽系の地球に帰還することを目指すという物語で、SF的状況での毎回のように襲い来る艦の危機、大人な人間ドラマが魅力的である。しかも超大長編であり、基本的に一話完結ながら、確実に物語を終結に向かわせている。「ヴォイジャー」も5年ほどの放送を経て、最大ワープ速度で75年かかるといわれた地球への帰還を作中時間でも地球時間の約5年ほどで帰還している。

 キャラクターは実に多彩で魅力的である。前作のディープ・スペース・ナインでは流動体生物といわれるオドーが何十話にもわたって、バルカン人の女性士官キラ・ネリス少佐への愛情を抱き続けながら告白したのは未来に取り残されたオドーであり、愛は実らなかったが、「やっと告白したか」という感じであった。「ヴォイジャー」では、緊急用医療ホログラムの「ドクター」(完全なヴァーチャル存在で触れることもできる)が、旅の途中でひろった、凶悪な「ボーグ」に取り込まれた女性に恋をするが、彼女は人間らしい感情を取り戻す途中であり、恋愛感情を抱いたのは副長に対してであった。艦内には、理想的な未来技術があふれ(完全な仮想世界に遊べるホロデッキ、音声注文で元素から食事を瞬時に作るレプリケーターなど)、人間らしい感情を知らないボーグの女性にドクターは、自分が彼女に好意を持ってるくせにホロデッキでデートの練習をしてみるように言うのである。「遅すぎるが体験しないよりはるかにましだ」というが、ドクター自身、当初は単なるプラグラムとみなされており、ジェインウェイ艦長が、恐らくヴォイジャー艦内ではじめてホログラムの人権を認めて、成長する機会が与えられたのだ。外見はモデルとなった作品世界中の実在の医者であり、禿げた中年のおじさんである。作品はかなり破天荒に舞台が入れ替わるから、地球に帰還したヴォイジャークルーと時間を越えて通信する状況もあり、そこではドクターは立派に綺麗な女性と恋仲になっているのである。ジェインウェイも、提督に昇進した未来の自分と通信をしている。

 連邦宇宙艦隊の提督の息子で問題児であった、ハンサムな女たらしのトーマス・ユージン・パリス(トム・パリス)の更正と気性の激しいクリンゴン人と地球人との混血のベラナ・トレスとの長期航宙を通しての恋愛と結婚、新任少尉として初任務だった士官学校時代はオーケストラでクラリネットを弾いていたというハリー・キム(当然朝鮮系の子孫)の成長、ドクターの成長や葛藤、ジェインウェイン艦長の恋や、専門用語が入り乱れまくるハードなSF的内容など一定年齢以上を対象にしたSFドラマ。この水準でドラマを描ききれるところをみると、銀河英雄伝説は十分に実写化できると思う。なにしろ「ディープ・スペース・ナイン」はDVD48枚組み、133時間であり、これは銀河英雄伝説の本伝DVD28枚組み、56時間を大幅に超過しているのだ。しかし、値段は「ディープ・スペース・ナイン」が約12万8000円で、日本語字幕及び吹き替え音声、英語音声は5.1ch収録なのに、銀河英雄伝説は約24万円もする。なぜ日米の物価はかほどに違うか?

 「スタートレック」は地球人類の未来の歴史であり、その点では「遠い遠い昔、別の銀河系で…」と語られる「スター・ウォーズ」より、「銀河英雄伝説」や「ガンダム」に近いからスター・ウォーズより支持するが、惜しむらくは、惑星連邦の方針が基本的に武力衝突回避であるので、戦闘は少なく(ないわけではない。「ディープ・スペース・ナイン」のラストは、主人公の黒人士官シスコ大佐が司令官をつとめる宇宙ステーション「ディープ・スペース・ナイン」が奮闘空しくカーデシア帝国軍に占領されて終わる)、過酷な宇宙環境や未知の宇宙生命とのSF的な設定での戦いや知識に基づいた解決が多い点で、人間ドラマとしては実に秀逸なだけに、多少、SFとしては迫力不足である。この人間ドラマのよさと戦闘の迫力を一致させたのが、銀河英雄伝説やガンダムであるのだが、ともに視覚媒体としてはアニメを選んでいる以上、リアリティの面ではるかにスター・ウォーズとスタートレックに及ばない。理想は銀河英雄伝説、ガンダムともスタートレッククオリティで実写化することである。小説が原作であり最高の魅力を放っている銀河英雄伝説は、翻訳するのが一番だけれども、実写化が与えるわかりやすさにはおよぶまい。

 最新作「エンタープライズ」は2100年代に舞台が戻っているそうだが見れていない。ホシ・サトーという人物がレギュラーらしいので見たいのだが…
  1. 2006/06/06(火) 00:06:22|
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エマ・ワトソン祭り兼ハリー・ポッターのこと

 「炎のゴブレット」映画版の特典映像から画像をキャプチャできたので、エマ・ワトソンの画像を目一杯載せつつ(画像をクリックすると大きい表示になります)、未読の5巻・6巻について、ほぼネタバレを知ってしまったのでその上でネタバレについて思うところを書こう。早く読みたいが、約2000ページか…orz

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 かなり美しくなられたフロイライン(ドイツ語で「ミス」「お嬢さん」とでもいう意の語)・エマ。


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 ヴィクトール・クラム役のスタニスラフ・イワネフスキー(クラムはクディッチというスポーツのブルガリア代表という設定だが、この人も実際ブリガリア出身。一つ前のブログに書いたスクロヴァチェフスキ《ポーランド出身》と同じ「スタニスラフ」というファーストネームであり、東欧では一般的な男性の名前なのだろう)とともに舞踏会会場へ現れるエマ。ダニエル・ラドクリフは「エマが美人なのはわかってたけどもっと綺麗になってた」と賞賛。

 
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 舞踏会の撮影について「女の子は楽しみにしてたけど男の子は無関心だった」というエマ。原作どおりの男女の反応になってしまったようで、女の子の方が精神的成熟が早いことがわかる。それにしても舞踏会とは関係ないが、ビリヤードを久しぶりに猛烈にやりたいな。趣味に「ビリヤード」といえるくらいやりたいものだ。4,5回しかしたことないのが無念である。舞踏会なんて出れないし…

 
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 ハリー達(ハーマイオニーは両親が「マグル」、つまり魔法使いでない普通の人間ということで「穢れた血」といわれる)をからかうドラコ・マルフォイ役のトムにダンスに誘われて。

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 「闇の陣営に入ってしまったわ!」というエマ。

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 すっかり美しくなったといわれるエマ。

 次はハリー。監督によると原作のハリー同様、ラドクリフは「ダンスが天職とは、現時点では思えない」、つまりダンスが下手だったようだ。他の出演者が3週間練習できたのに彼は4日だけだったともいい、「両親はダンスが上手いのに」ということ。「ハリーだから下手でいいんだ」とカメラに向かって言ってたな。ダニエルも髪が長くてあの眼鏡して服がクールだと十分かっこいいな。

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 踊るハリーと少女。映画では、原作のエピソードをかなり削ってなお150分なので舞踏会のシーンも短く、残念であった。映画のワルツは「皇帝円舞曲」か「美しく青きドナウ」、あるいは「ウィーンの森の物語」、いやいやドラクエ5の「結婚ワルツ」とかFF8の「Dance with Bramb-Fish」とか使ってももらいたかったが(ボスコフスキーのニューイヤーコンサートを少し見れたけれども「皇帝円舞曲」のバレエ団の踊る映像は綺麗だったな。おもわずハリーたちの踊りと比べてしまった。美男美女ばかりで舞踏会の文化がない日本人として、単純な西欧礼賛はあさましいけれどもこれは素直にいいなあとおもえる)

 さて第5巻・第6巻の話題へ。

 第5巻はハリーがいらいらしまくっており、4巻ですでにその兆候を読んで痛々しく思った私は、ちょっと気恥ずかしい感じをもって読まなければならないだろうが、この巻ではブラックが死ぬというのもネットで知ってしまい、筋書きを知った上でなおどれだけ楽しませてくれるか、期待である。エマやダニエルも5作目について「ダンブルドアの軍隊(ダンブルドアズ・アーミー)は楽しみ」と特典でしゃべっていたので、「不死鳥の騎士団」と題された5巻では大人たちも対ヴォルデモート戦線を結成する、あるいはしていたということになるだろう。

 そして6巻。これが5巻よりネタバレを知ってしまい、副題の「謎の王子」はセブルス・スネイプであり、これまで、ハリーの父ジェームズとリリーに対する感情から、散々ハリー(および仲良しのロンやハーマイオニーにも)をいびりながら、命を助けたいい味出してた彼が、あろうことか、アルバス・ダンブルドアを禁呪「息絶えよ!」で殺害してしまうという。しかし、その際のダンブルドアの言葉は「セブルス、頼む…」(Severus,please…)であり、ダンブルドア(1840年生まれらしい。チャイコフスキーと同い年か)は命乞いするような人間ではない以上、しかもこのシーンではかなり裏に何かありそうな書かれ方をしているようで、決定的におもえるスネイプの離反も、そのまま受け取れないようである。ハリー達をからかっていたドラコ・マルフォイ(1980年生まれらしい。ハーマイオニーが1979年生まれであるらしいので、ハリー達の学年は1979年、1980年生まれで構成されているものと思われる。ハリーとロンの生年は不明。また親近感が沸いた…)がデス・イーターを招きよせる手引きをして闇の陣営についに完全に走ったようで、ダンブルドアはそれを止めてくれ、自分を殺すことはつらいがかねてよりの予定だ…というような読み方もできるようだ。
 ダンブルドアの台詞で印象深いのは、4巻で(映画ではカットされてたが)ハリーになぜスネイプのような奴を信用して教授としてホグワーツ校に置くのか、と問われて「それはな、ハリー。わしとスネイプ先生の問題じゃ」といっていることで、このことからもスネイプによるダンブルドア殺害を単に闇の陣営への寝返りと捉えることは確かに難しいと思う。

 さらに恋愛模様ではハリーはチョウ・チャンと付き合うが、キスをしただけで「価値観の相違により」別れてしまうらしく、その後釜にはハリーにずっと憧れていたロンの妹ジニーが占めるらしい。これもキスシーンがあるようだが(読みたいような、読みたくないような…あのダドリーにいじめられてたハリーも女の子の心を捉えるまでになったか、とおもうと極めて感慨深いが)、ついに6巻をもって、まだ学校生活はあるにもかかわらずヴォルデモート打倒のためハリーは学校とジニーに別れを告げるらしく、ロンと、あの超優秀なハーマイオニーもハリーについていくらしい。ダンブルドアの「おぬしには友人がおる」という言葉がいっそう強く押し出されていきそうだ。ロンはラベンダーという同級生と一時期付き合ったがすぐ破局したらしく、ハーマイオニーと両思いながら仲は進展しないとのこと。

 やばいなあ、未読なのにかなり知っちゃったよ。しかし、まだラストがある。ローリングは最終章は何年も前から書き上げて金庫にしまっているそうだから、7巻で確実に完結するだろう。ハリーが自らの命を投げ出してヴォルデモートを倒すのでは、という説もあり、哀しいが、これが私の気質にあったもっとも感動的な結末であると思う。あとはそこにむかってどれほどの筆力と構成と脇役を生き生きさせてくれるかであり、ヴォルデモートを倒して皆の笑顔で大団円も素晴らしいけど、より悲劇的色彩の強い方を望む。
 そういえば脇役のネビル・ロングボトムが「予言の子」の一人になるらしく、三人組以外の脇役に寄せる愛情が伺えこれはうれしい。彼のような脇役にこそ死んで欲しくないのだ。泣ければいいけど…
 5巻は図書館で予約をいれたので、早く読みたいものだ。ああ、キスシーンか…英国女性が10代半ばの少年のファースト・キスをどう甘美に、あるいはあっさり描いているか、ドキドキだ。なんといってもハリーは弟か息子を見るようなもの。(年齢的に自己投影はしにくい)。息子のファースト・キスの情景や胸の高鳴りとか不安なんて恥ずかしくてしょうがない。
 7巻だけは、ラストだけは読む前にネタバレに触れないようにしないと。原著を読みこなす連中がそうそうに感想をネット上に流すと思うので、日本語訳が読めるまで辛抱しなくては…

 しかし映画版はもう設定年齢に見合ってなくていいから主要3人はダニエル・ラドクリフとルパート・グリントと、もちろんエマ・ワトソンでいってもらいたい。映画最終作の公開は早くて2010年(マジか…)くらいの公開だと思うが、劇場でスタンディング・オベーションが起こるくらいの出来であらんことを。7部作の終焉にふさわしく。
 前にも書いたが、小説版は過去にこのような成長物語の例はあったろうが、同一キャストで、10年もかけて7部作を撮り、主要キャストと登場人物の成長が視覚的に見られる映画はおそらく類例がないのだから。
  1. 2006/06/04(日) 23:41:26|
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N響アワー

 スクロヴァチェフスキ指揮のNHK交響楽団の演奏会を見た。
 そしたら、シューベルトの「未完成」で第1主題を弾いているクラリネットの人が、2年前のファイナルファンタジーオーケストラコンサートで新日本フィルハーモニー交響楽団でクラリネットを弾いていた人ではないか。

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 この眼鏡の男の人です。NHK交響楽団に移籍したのでしょうか?結構あるのかな、オーケストラの移動は。後ろのファゴットの女性が美しい。

 番組の中でスクロヴァチェフスキは、ブルックナーについて「音楽を神にささげようとした唯一の人」という風な言い回しをしていたが、敬虔なカトリック信者という点ではドヴォルザークも同様であり、作品を書き終わると、常に「神に感謝」と記している。ブラームスに「毎日聖書を読んでいます」と言ってるし(「ブラームスは語る」より。この本はブラームスがいかに気さくで、時にはベートーヴェンにすら批判的であることを示している良著。ドヴォルザークにはおおむね肯定的であり、「何か作れるとすればドヴォルザークだけなのに」とか、「新世界から」についてはその響きを賞賛。カルベックという人が異を唱えると、「あのね、僕はあの交響曲を暗譜しているんですよ。だからケチをつけようと思えばいくらでもつけられる。ためしにあの曲の1節を取り出してみなさい。そこから別の可能性も広がるでしょう。でもあのままで目一杯魅力に溢れている。必ず共感する友を得られる、健全な曲ですよ」といっている。「必ず共感する友を得られる健全な曲」…なんとも斬新で、新鮮な音楽評であろうか!ブルックナーについては「彼は尊敬されて当然だよ」といっている)、彼も神に音楽をささげた人といえるのでは?
  1. 2006/06/04(日) 22:37:57|
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美男ラッシュ

 「美女ラッシュ」をやったので、バランス・安定志向な天秤座としては美男ラッシュもやってみようかと…

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 ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)。指揮者。カラヤン自身が最も気に入っていたといわれるショット。銀髪の輝きと、左即頭部の髪を立ち上げて固めた独特のヘアスタイルがよくわかる。


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 新世代イギリス人指揮者ダニエル・ハーディング(1976~ )。ダニエル・バレンボイム(指揮者)でも、ダニエル・ラドクリフ君でも、合衆国大統領でも、スケート界を騒がせた人でもない。

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 映画「ピーター・パン」に出てた子役ジェレミー・サンプター。撮影中にすごく背が伸びた。映画は見てない。


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 ビョルン・アンドルセン。映画「ベニスに死す」に出ていた恐ろしいほどの美貌の少年。内容があれなので映画は見てない。銀河英雄伝説のラインハルトを実写でやらせるとしたらこの方向だろう。こんな男が現実に存在するのね…

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 福山雅治(1969~ )。別にファンではないが日本人からも。下品なラジオをやっている。

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 ぺ・ヨンジュン。穏やかそうだ。

 出した、出した。まだいるけど、こんなものか。

 しかし…皆かっこいいあるいは美しいな…orz
  1. 2006/06/04(日) 03:17:50|
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美女ラッシュ

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 以前のハーマイオニー・グレンジャーことエマ・ワトソン。
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 比較的最近のエマ・ワトソン。

 本当は「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」の特典ディスクの彼女が一番かわいらしかったが、キャプチャできなかったのでこの写真を。
 
 2枚目の写真など「美しい」とすらいえる。しかし、最近、少しミス・ワトソンに夢中になってたが、

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 この人がいましたね、シャラポワ。パーフェクト・ビューティーですね。


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 この人もいたか。東洋的美女の典型的容貌の体現者ではないでしょうか。私と同じ身長だよ…。血液型も一緒だ。


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 この人も素敵ですね。これはだいぶ前の写真ですが。

 しかし、世の中、美男・美女にあふれてるなあ。普通に町を歩いてる人も結構きれいだったり、ハンサムだったりすりからげんなりだ。

 といっても、そういう人ばかりではないので、あまり男女問わず綺麗な人たちばかり見すぎるもの問題かもしれない。音楽なら、ひたすら美しい音楽ばかり聴いててもいいのだが…

 しかし、みんな綺麗だなあ。生まれ変わりたいです。
  1. 2006/06/04(日) 02:16:00|
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オペラを少し、ハリー・ポッターの特典映像の感想も

 カルロス・クライバー指揮のシュトラウスの喜歌劇「こうもり」と、ウォルフガング・サバリッシュ指揮のモーツァルト「魔笛」を少しずつ見た。

 「こうもり」、オペレッタということだが台本面白くないなー。クライバーの演奏は云々できない。合唱シーンとかは楽しそうだが…

 「魔笛」はすこしファンタジックで「こうもり」よりはよさげだが、冒頭に学園祭レベルの大蛇が出てこられるとなあ…「ハリー・ポッター」のすさまじい映像製作(人員《常に2000人が動いているという!》、予算、こだわり、その結実としての写実性など)のドキュメントを見ると興ざめせざるをえない。かといって目を閉じて字幕なしではとても聞けない。

 「銀河英雄伝説」がドイツで上映されたときタイトルの「英雄=Held」が「かまど=Herd」になっていて大笑いされて、話の内容がそっちのけになってしまったらしいのだが、音楽がよくても台本と舞台装置があれでは…まあ映像ソフトだし頑張って見てみますが。

 「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」の特典映像を見ました。DVDプレーヤーの操作でちゃちなゲームができたり面白い試みも。
 しかし、何と言っても印象に残ったのは、ハリー役=Mr.ラドクリフ、ハーマイオニー役=Miss.ワトソン、ロン役=Mr.グリントと、何といったかな、ヒュー・グラント(かっこいいので一時期憧れたよ…飽きたけど)とオックスフォードだかで一緒で英国紳士ぶっている司会者リチャード・カーティスとの雑談。それにしても字幕の口調のそっけなさ。子供があんなラフに大人と話すかね?英語に日本語ほど敬語はないのだろうけど、「~です」とか、大人の口調とは別に訳してくれれば自然なのに。吹き替えではちゃんとやってる。
 それにしても、ハーマイオニー=グレンジャー役のエマ=ワトソンですね。1990年生まれだというから(…。カラヤンが30歳下の女性と結婚したのに比べれば3分の1の差でしかない!)このとき15歳に過ぎないと思うが、ごく普通の性格で、容姿も図抜けていない男の子ふたりに比べて美形振りが著しく際立っている。所々黒味がかった金髪を綺麗にまとめて、落ち着いていて、「あと5年したら美人」とか思ってたが、あと3年で絶世の美女になりそうだ。映画の撮影に11ヶ月かかって、さらに公開まで2ヶ月を要したというからずいぶんその間にも成長したのだろう。映画でも舞踏会では思いっきり着飾っているけど、はるかに綺麗になっていた。まだ私の好みにてらせば幼いけれども(といっても精神的成熟では凌駕されてそうだ)、映画の最終作ではやばそうだ。
 日本版のDVDのために特別に編集したのか、「ファンからの反応はどう?」という質問に対して、「日本のファンはほんとに礼儀正しいんだ。ファンレターもすごくきれいで…」とダニエル・ラドクリフがいうと、エマ・ワトソンが「そう。タイプで打ったみたいにね」と続ける。鋭敏な(?)彼女は、そこが逆に無個性だ、と言いたかったかもしれない。イギリス人は、というか白人は基本的にアジアやアフリカに興味ないしね。下手すれば偏見もって見下してるから(ラドクリフたちの年代では、原作にハリーの従兄弟のダドリーがプレイステーションぶっ壊した、とかいう記述もあるし、アニメ・ゲームが浸透しているので、彼らより上の年代に比べれば偏見は多少は減ってるとは思うが)、ヨーロッパ・アメリカに行くときは人種差別にあったときの現地語での反論を用意しといて損はないだろう。イギリス人には「歴史上最大の恥知らずな略奪者にして野蛮な白猿が何を言うか!」であり、ドイツ人には「ナチス・ドイツを自らの意思で選んだ国民の態度とも思えませんな」とでもいっておけば一蹴できよう。
 さて、CGや特撮・衣装や演技など撮影風景を収めた特典映像の見所はやはり三人の会話で、ファン代表5人から質問も受けていた。国籍別にはイギリス1人、アメリカ3人、日本1人であった。
 イギリス人やアメリカ人の女性が質問していたけど、エマより年上だろうに、堂々とした態度と垢抜けてる度合いで負けてたなー。まあ、何年も子役やって、しかも美貌も持っていて専属のスタイリストなどがついてるだろうエマと比較するのが酷ではあるが、他の同世代の女の子に比べても、やはり「文学少女」っぽさが多少あったな。まあ、一昔前ほどひどくはないのだろうけど。日本人の女の子は、美しいとはいえなかった(失礼!)しかし、落ち着いており、最後の記念写真はいい思い出になったであろう。

 それにしても、ラドクリフが次回作への期待として「好きになってもらう努力もしてないのに可愛い子とキスできる!」と喜んでたが(相手はチョウ・チャンらしい)、とすると原作の5巻、6巻にキスシーンあるのか?いやだなあ。この作品は恋愛描写は控えめでお願いしたいのに…まあ、キスくらいなら控えめなんだが。しかも映画のチョウ・チャン役はエマに比べればそれほどでもないし。いや、かえってそれがリアルでやだな…

 それにしても映画の撮影は主に長期休暇を利用してやってるとおもったが主役級はあまり学校に行ってないようだ。大変だな…そのかわり、普通の子供にはできない、魔法の世界の住人になりきることや有名人にも会えて、非常に刺激的でスリルにとんだ、極めて得がたい体験をできるわけだが。
 エマはコンピューター・ゲームが好きなようだ。何の機種をやっているのかまではわからなかったが。

 しかし、第5作は来年公開予定か…主要キャストは変わらないようだからどれだけ老けているのか心配だなあ。ほんと1作目から成長してるよ。これを見るだけでも面白い映画といえよう。
  1. 2006/06/03(土) 03:15:14|
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ハリーとロンとハーマイオニー、ヤンとラップジェシカ

 「銀河英雄伝説」と「ハリー・ポッター」の比較なんて誰もしないだろうから、私が主要三キャラの比較でもしてみたい。

 実は、ジェシカ(すれ違う男の半数は振り向くほどの美しさ、とある。金髪、淡いグリーンの瞳)もラップも早々に死んでしまうから主要キャラではないのだが、ハリーたちとの共通項は「男二人に女一人」という点と、三人組の中の女性キャラが主人公であるヤンやハリーでなく、もう一人の男とくっついてしまう(ハリー・ポッターの場合「くっつきそう」な段階だが)点。だが、ジェシカはジャン・ロベール・ラップ少佐(死後大佐に昇進)と婚約するけど、この三人を中心に描かれた「新たなる戦いの序曲(オーヴァチュア)」にあるように、ヤンとダンス(ハンガリー舞曲の第6番だった。ヤンはジェシカの足を踏んでしまうが、この人は風雅とは程遠いからな・・・)を踊ってるとき思わず涙してヤンの胸にもたれてしまう。ヤンのことを本当は好きだったのだろう。一方のヤンは臆病から本心を打ち明けることなく、またラップを親友として大事に思っているから、「こいつはいい奴なんだ。幸せになれるよ」などというのである。ラップもわかっていて酔いつぶれて無人カーでジェシカと一緒に帰るとき思わず「ヤン、すまんな・・・」とか口に出てしまうのだ。それを聞いてジェシカはラップとの結婚を微笑んで受け入れるわけだが・・・
 後輩アッテンボローがヤンとジェシカの関係について「まあ、あの二人が付き合っているといわれても違和感はなかったね。恋人というより仲のよい友達、という感じではあったがね」といっている。ヤンとラップは士官学校在学中に事務官の娘であるジェシカ・エドワーズと知り合った。ラップとヤンは戦史研究科に在籍していたのだが、予算削減のあおりで戦史研究科は廃止されることになり、学年首席のマルコム・ワイドボーンを戦術シミュレーションで破ったことのあるヤンは戦略研究科への転向を余儀なくされるが、戦史研究科存続をもとめてラップとジェシカと組んで活動したらしい。「屋敷しもべ妖精」の人権のために立ち上がったハーマイオニーの行動と似ている(ハリーとロンは同調しなかったが)といえば似ている。しかしその運動は「戦略的撤退を余儀なくされ」、二人は下手をしたら退校処分であったが、アルバス・ダンブルドアを思わせる当時の士官学校の名校長シドニー・シトレ(彼の時代は士官学校でも五指に入るほどいい時代だったといい、体罰を戒めた)は、戦史研究科廃止に伴ってバラバラになる研究科の蔵書がどこに行くか記すという仕事を処罰として与えるという粋な計らいをする。
  
 ラップ少佐は「アスターテ星域の会戦」で参謀として参戦し、上官の無能を「下らない軍事ロマンチシズムに毒されて部下を道ずれにするか!」と激昂するものの、降伏勧告を受け入れなかったムーア中将とともに戦死する。音楽学校の教師になっていたジェシカは自宅でムーンライト・ソナタを弾いていたが、ピアノの上のラップと移った写真立てが落ち、ガラスが割れてしまうのだった・・・その後彼女は反戦活動家となり当選するが、軍部によるクーデターで虐殺されてしまうのだった。ヤンはその報を聞いた時サングラスを押し上げただけだったが・・・

 さて、ハリー・ポッターにおけるロンとハーマイオニーは死ぬのだろうか?amazonで第5巻、第6巻のレビューを見ると誰が死んでしまうかちょっとわかってしまったが、ローリング氏は最終巻で2人死ぬがそれはロンとハーマイオニーではないといってるらしい。私は別に切なさを最高潮に、お涙頂戴にもっていってくれるなら誰が死んでもかまわないのだが、あの三人はやはり生き残るようだ。ヴォルデモートを倒して凱旋して終わり?
 5巻はハリーがイライラしまくっているらしいので痛々しそうだが、6巻はそれを乗り越え落ち着いているらしい。しかし、子供向けっぽくない、暗く憂鬱な雰囲気があるとのことでこの手の雰囲気(音楽でいえば短調?)が好きな私は楽しみだ。
 
 ともあれハリー・ポッターはまだ未完成なので完結してからトータルで評価すべきなのだろう。銀河英雄伝説の著者の田中芳樹も「これで銀河英雄伝説もようやく小説になれました。これまでは小○でしたから。これで悪いなら悪いなりにトータルで評価していただけます」と書いてるし。
 ・・・って田中よ、「アルスラーン」、「七都市物語」、「タイタニア」他、最終巻でてから何年たってると思うんだ?さっさと続刊出せよ!ヤンとジェシカとラップの士官学校時代の話も外伝として出すって言ってたろー。出してください。「創竜伝」なんて現代日本論評本と趣味の中国史物ばかりコンスタントにださなくていいので・・・。これこそが「銀河英雄伝説」を最高傑作とみなし、以降の田中を腐敗した、職業作家失格とみなす(私もそう)最大の要因なのになー。何千となく同じ意見が本人のとどいているはずだが本人どう思っているんだろう?ローリングはハリー・ポッター終わったらそれを超える傑作書けるかだろうか?書くかな?
  1. 2006/06/02(金) 00:15:41|
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ハリー・ポッターその2

 「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」を見ました。原作にくらべて省略・簡素化されているエピソードが多く(「屋敷しもべ妖精」のドビーは出てこないし、「屋敷しもべ妖精」の非人間的《?》労働環境に憤慨したハーマイオニーが、賃金の支給・休暇の設定・一日8時間労働制、職業選択の自由などを主張して屋敷しもべ妖精解放戦線《だったかな?》を結成してオリジナルバッジを作ってその売り上げと組合員で屋敷しもべ妖精の労働環境を改善していこうという、魅力的なエピソードも完全になくなったし《ハリーとロンにも当然誘うが、彼らが興味ないとわかるとしつこくしないであとは自力でやっていくのがハーマイオニーの大人なところ》、最後のヴォルデモートとの対決もあっさりしすぎだった)、映画は2部作にすればよかったのではと思った。クラウチと息子の葛藤も描かれてなかったし。やっぱハリー・ポッターは小説読んで映画見るに限るようだ。

 ダンス・シーンはきらびやかででよかったなあ。ハリーが惚れてたのは映画ではたいして綺麗でなかった(失礼!)東洋系のチョウ・チャンだが、一緒に踊ったインド系の少女の方が可愛かったぞ。ロンが愚かにも「最後の手段」として誘ったハーマイオニーはもっと可愛かったけどね。ワルツを演奏してたのは、原作では「骸骨管弦楽団」だったかな?クラシックの音楽をかけて欲しかったけど。オリジナルでなくて知らないクラシックの曲だったかも?骸骨オーケストラは映画では指揮者以外は普通の人だった。その後の、原作では「妖女シスターズ」、となっていたバンド(「女子12楽坊」を連想した・・・)をどう映像化するか楽しみにしてたら男だけじゃんよ!(笑)
 でロンとハーマイオニーの喧嘩。「次からは最後の手段じゃなくてちゃんと誘いなさいよ!」ごもっとも・・・。もっともロンは「女って年々怖くなっていくな」とかいってたが・・・
 ネビル・ロングボトム(ヒトラーにしてやられたイギリス首相ネビル・チェンバレンを思い起こす名だ)というちょっと間抜けなハリーたちの友達にもちゃんとパートナーを与えてあげて(ロンの妹のジニーだが)るのは原作者ローリングのうまささ。ハリーに「朝帰り(吹き替えでは「夜遊び」)しちゃったよ」なんて・・・脇役にも見せ場を与えてあげているのだ。(これは映画オリジナルの台詞だったかなあ?)ここらへん、「銀河英雄伝説」の筆致と共通するものがある。長丁場で各キャラクターを掘り下げられる余裕があるとはいえ、無視してもいいはずだからだ。

 あと、ハリーの入浴シーンがあったが、Mr・ダニエル・ラドクリフ、立派な体躯です。ギリシャ彫刻のように綺麗だが、あと一歩でマッチョだ。背はまだ低めなので、次回作で背が伸びたらもはや10代には見えなくなるのでは・・・ともあれ、衣装や、ホグワーツの学校のセットや実際の歴史ある建物を使った撮影やCGは十分娯楽大作であり、キャラクターもよく、楽しめた。意外と、音や異形の怪物の描写が怖かった。ロングボトムにはがんばって頂きたい。いつもハリーたちをいびりながら、最後には助けたこともあるセヴェルス・スネイプ教授もいいキャラだ。ハリーの父親が大っ嫌いなのに助けられたことがあるとか、ヴォルデモートに仕える「デス・イーター」だったとか4巻で結構秘密が明かされたけども、最後までハリー=ダンブルドア(=銀河英雄伝説のウォルフガング・ミッターマイヤー元帥が滅び行く自由惑星同盟に殉じようとしている最後の宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコック元帥を評していった言葉を引用すれば、「あの老人を殺したくないものだな、バイエルライン。敵ながら敬愛に値する爺さんだ」という風にダンブルドアを評しえよう。最後まで生き残るかなあ?)陣営にいるかどうか?

 あとは小説だ。5巻「不死鳥の騎士団(Order of the Phoenixだから「騎士団」って訳はねえだろって読んだことがあるが。最新刊の6巻も「Harfblood Prince」も「混血の王子」なのに「謎の王子」とか訳してるし。無論誤訳ではなく意図的に違いないが、読んでみないと)」はずっと借りっぱなしで読めない・・・それにしても久々に「終わってほしくない」と思い始めたフィクションになってきたなあ。ハリー・ポッターは。かといって、日本の連載漫画に多くある人気があるからだらだら話を続けるよりも、「銀河英雄伝説」のように、最初から完結に向けての構想があり、それに準じて潔く終わる物語の方がはるかに印象深いものになるけどね。
 
 5巻が読みたくてたまらんですね。
  1. 2006/06/01(木) 21:39:31|
  2. 映画
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