Sのつれづれ日記

 ここでは日々の出来事や思ったことなどを中心に書いていきます

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一応お答えを

>いまだ南北に引き裂かれた悲劇の民族に。その要因を作った大日本帝国の末裔たちが。

僕は「嫌韓流」は読んでいないので、何が書いてあるのか知りませんが、朝鮮が南北に分かれている要因が、何故日本なのか理解に苦しむ。

ここは詳しい見解を希望したい(^^)ノ

 大日本帝国が滅亡することでやはり植民地に過ぎなかった朝鮮半島、台湾、樺太などを失い(国家の滅亡につきものの領土縮小といえよう)、特に中華人民共和国に隣接する朝鮮半島に「政治的空白」が生まれた。抗日の英雄(を自認する。無論どこまで陣頭指揮したかはわからないが・・・)キム・イルソン率いる共産主義と日本を占領統治(異民族による、全国家的な支配を受け、それまでの政治体制を根本から変える施策《神聖不可侵、陸海軍を統帥する天皇の政治的権限は一切なくなり、世界でも独特の「象徴君主」を生み出した。日本国憲法の下では主権は天皇から国民に移り、男女普通選挙も実施され、学術・言論・思想・宗教の自由が憲法によって保障された。しかも「法律の定る範囲において」各種の自由を認めた大日本帝国憲法と異なり《法律でいくらでも自由を統制できる》、日本国憲法下では憲法にある国民主権、基本的人権の尊重、言論・結社・思想信条の自由・宗教・学術に関する自由などに反する法律は効力を持たない。それをたてに一市民が国家を訴えることもできる。民主国家における「建前」がどれほど重要かは言うまでもない》を採られることをも、「国家滅亡」の定義に入れるべきだと思うのだが、その意味でも単に「国号の変更」ではなく大日本帝国は、やはりアメリカに支配された時点では滅んだのだ)しているアメリカ主導の国連軍が激突した。これは、韓国を併合し、「植民地ではなく日本化」できなかったからこそ、朝鮮民族の自主・独立を戦前から認め、近代化をあくまで「独立国家同士の交流」として行わなかったからこそ(欧米列強にこのようなことを「遅れた国」にやったのは類がないであろう。こういう独創性を大日本帝国が持っていればね~。中国にも同じことをしていればそれこそ「大東亜共栄圏」が戦前に現出したかもしれないのにね)、共産・資本主義両陣営が朝鮮半島の戦後の政治的空白につけこんだ内戦に発展させたのであり、日本が朝鮮半島を併合でなく独立させてやれば朝鮮人は、日露戦争(戦場は中国!!はた迷惑な話だ)の勝利の結果ロシアの脅威もかなり遠ざかっている以上、統一された状態で近代化を図ることができたはずである。したがって「南北分断の悲劇、その直接的原因となった朝鮮戦争勃発」の責任は1910年の朝鮮半島併合と所詮完全に日本領として連合軍に認められなかったくらいにしか「皇民化」できなかった大日本帝国の施策にあるのであり、大日本帝国が「無条件降伏」して朝鮮半島をほっぽりだし(ソ連の侵攻で、民間人を守るべき関東軍が民間人をおしのけ我先に逃げたのと同様―無論任務に準じた無名兵士もいたろうが全体として―)、南北にソ連とアメリカが分割統治するような結果になったのである。
 ―「銀英伝」よりチュン・ウー・チェン大将のヤン・ウェンリー評「ヤン・ウェンリーは何かと欠点の多い男ですが、何者も否定できない美点をひとつ持っています。それは、民主国家の軍隊が存在する意義は市民の生命を守る点にある、という建前を本気で信じていてしかも一度ならずそれを実行していることです」彼の言葉に答える、同盟最後の戦いに望むビュコック元帥。「そう、貴官の言うとおりだ」「エル・ファシルでもそうだった。イゼルローン要塞を放棄するときでもそうだった。一人として民間人に犠牲を出しておらん」
 歴史は、ヤン・ウェンリーを、ラインハルト・フォン・ローエングラムに匹敵する、あるいはそれ以上の戦争の芸術家として記録するだろう。だが、それ以上に後世に向かって語らねばならないことがあるのだった―
 関東軍の卑劣な行動は所詮大日本帝国が自国の軍隊を専守防衛でなく、侵略的攻勢用(外征用)にしていたことを示唆もするだろう。
 

 関東軍の、史上最悪の民間人を見捨てての逃亡という醜態は、大日本帝国が民主国家などではなかったことの、象徴的な暗喩であろう。およそ、軍隊の存在する唯一の積極的意義―民間人の生命を守ること―を放棄したのだから。関東軍は弱者にたいして傲慢であり、強者に対して卑屈であった。(ヤン・ウェンリーの軍隊評―被保護者のユリアンに「軍隊は2種類ある、わかるかい?」「支配し弾圧するための軍隊と、解放し自由を得る手段としての軍隊だ。しかし国家の軍隊というのは基本的に前者なんだよ」―)
 まあ、大日本帝国の上記のような、中途半端な、結局は「日本」と認められない民族と国家を、欧米列強の悪いところばかり真似て追い詰め(1895年閔妃《明成皇后》が日本公使三浦梧楼らによって殺害される=これなど日本がやられたら徹底的な殲滅戦が朝鮮に対して行われていたでしょうな!、第2次日韓条約による外交権の剥奪、第3次日韓協約、続く韓国軍の解散など)ついには併合した、このこと自体がすでに朝鮮戦争の原因なのですよ。少なくとも原因のひとつであると思っております。
 「朝鮮が単独で欧化できたか」
そんなのほっときゃいいじゃん。アジアで最初の立憲君主国として欧米風の法制度や軍隊は一応作ったから、お前らは大日本帝国臣民として俺らの支配をうけろ、ではアフリカや、アジアを次々植民地化した、図々しいにもほどがある「キリスト教」や産業革命後の諸技術(写真、鉄道、ガス灯、連発銃、電信、電話、その他医療技術など)を錦の御旗に掲げて「白人の義務(!!世界の歴史、「帝国主義の時代」より)」を苦悩とともに受け止め、しかもその勤めは果たされるべきであると狂信的に信じて植民地獲得競争に進んでいった欧米列強を非難する資格はありません。
 今日を見なさい。「積極的平和」(国内に独裁政権があり、国民の基本的な各種自由権、言論・思想信条・学術・信仰などが迫害されているのでは「消極的平和」にすぎません)があれば、韓国も中国大都市部も、台湾も、シンガポールや香港も、インドネシアやフィリピンもタイ(タイなど戦前アジアにおける日本以外のほとんど唯一の独立国家として徐々にではあるにせよ近代化を図ってきた。国王もいる)もそれなりに近代化(日本・中国・韓国大都市部など非アジア人からみれば区別がつくかどうか。いや我々でさえごくごく一部のみを見せられたら、どれがどこの国か判別するのは困難ではなかろうか)しているではないですか。タイなど日本の統治がなくとも近代化してますよ。首都バンコク圏に万事が集中しすぎですけどね。これは「遅れて近代化した国々」のいわば「宿命」。日本でさえいまだにそうなんだから。
 あと、イギリスなどではもはや「不文律で」行使されることはほとんどないとはいえ、国王に政治的権力があり、立憲君主制(ヨーロッパの王室を持つ国は結構多い。そこでは立憲君主制が多い)ですからね。大日本帝国が、「ほとんど行使されることが、慣習によってなかった」とはいえ、憲法に「陸海軍を統帥す」などとある以上「政治的権力があった」のは明白であり、民主主義国というより「立憲君主国」というべきでしょう。学会でこんなこといったらコケにされますよ。立憲君主制でも「きわめて民主共和制にちかい」政体を作ることは今日の上に記した国家が示すように可能ではあります。しかし大日本帝国は国民(いや、「臣民」か)や、植民地の独立運動を弾圧したりしてますからね~。「共産党の党中央委員の岩田義道だから死んでもいい」なんて、彼がどんなことを行ったのですかね?遺族に向かってそれが言えますか?国家が人を殺すのを、弁護士付きの最高裁まで幾度か争える裁判(拷問など当然許されない!!!)を経て、大量殺人でも犯してきちんとした、客観的な物証もあり死刑になることをのぞいて、許すのは「個人が集まって国家になる」のであって、国家が滅びても人間が生きていける以上、倒錯した考えといわざるを得ません。ルーマニアをみよ。どんな言葉を費やしてもたりない人権弾圧をやったチャウシェスクが倒れ、彼の独裁下の「国家」が滅びても、人間が残っているではないか。「国民」ではなく「人間」が。彼らはむしろチャウシェスク以前より輝いて生きているではないか。他のソ連の影響下にあった国家の崩壊とそこに住む人々も同じ。
 戦前の日本は「強権的立憲君主制国家」「軍事偏重立憲君主国家」というほうが正しいでしょう。
 では長くなりました。お読みいただいて感謝です。それでは。
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  1. 2005/09/30(金) 01:39:12|
  2. 雑記
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「冬のソナタコンサート featuring RYU」を見て

 「最初から今まで」、泣けてきた・・・RYUを初め「冬のソナタ」の音楽監督や、メンサ(MENSA)という、イケメングループが出てきたり(監督に「可愛いです」といわれてた;^^)、サムというのが伊達メガネかけてやたらぺ・ヨンジュン氏に似てたり、「イケメングループ」にいていいのかと思われる(失礼ながら)、朝青龍なみのモンゴル顔(これが我々モンゴロイドの典型なのだよ、むしろ!!)ジェイという人が全員日本語で自己紹介したり、このコンサートの主役、RYUはかなり日本語しゃべってました。そして我々冬ソナファン(私の場合は冬ソナというより、チェ・ジウ姫とぺ氏のファンという要素が若干強いが。ドラマも男女関係ぐちゃぐちゃして面白い)は「最初から今まで」他を朝鮮語(韓国語というより、朝鮮半島の言語という意味で朝鮮語といっていくべきだと思う)で歌えるのだ。 
 三流の政治屋どもの外交より、このような民間人の活動のほうがどれほど、両国にとって文化・人的交流面で資するものがあるか、最近「嫌韓流」などという、小林よしのりの、たいした独創的でもない漫画評論の形式を借りた(「形式」を作ったなどとさえいえまい。単なる主観の吐露を大げさに描き、自分はかっこよく描き、敵対する民主主義者を醜く描く三流コメディーにすぎない)がブームだそうだが、彼らは韓国に何を要求したいのだろう?いまだ南北に引き裂かれた悲劇の民族に。その要因を作った大日本帝国の末裔たちが。
 いずれにしろ「嫌韓流」をよんで納得した側は韓国側を一方的に指弾する(その「極端さ」が今の日本に受けるのかもしれないが)漫画を読んでますます韓国を嫌悪するのだろう。韓国側に有利な資料は調べもせずに。調べ上げた人には必ず「捏造」のレッテルを貼るための資料を必死に探すのだ。(「竹島は江戸時代に日本の領土でない」と認めた資料がある。もともと何もない小島だしね)「主権国家」の主張の衝突が如何に多くの流血と惨事を生む温床となってきたか、過去の歴史でも十分学びえるし、おそらく後1世紀の間に思い知らされることになるだろう。そのとき面白半分でこの本を読んでいた人たちが先頭に立って「神の国日本を守る!!」と自らからの肉体を弾雨にさらし、肉片を四散させるとは到底思えない。
 やはりもう人類には、国連に変わる、宇宙進出・移民を積極的に全世界規模で進めることを施策のひとつとする全人類的統治機関が必要だ。名称はやはり「地球連邦」がふさわしかろう。でなければ、人類は砂漠化と食糧不足と、温暖化とオゾン層の破壊と、化石燃料の派遣をめぐる争いで衰亡し、死滅するであろう。人類は宇宙に飛躍しえるはずの生命種であると私は信ずる。一国家の国益、主権にこだわっていられる時代などとうに過ぎ去っていることをこれら「嫌韓流」を、笑い、馬鹿にし、あるいは真剣に受け止め、「大日本皇国臣民」としての自覚を深め、グローヴァリゼーションの時代に「国家主義者(ナショナリスト)」でいることをして、ほかの人より高みにいると信じ優越感に浸っている者どもは到底考えも及びもつかないであろう。あるいは人類は宇宙に飛躍できないと信じているのか。このような態度は人類の、1000年単位で見た場合のこれからの未来に対して反動的であり罪悪的とさえいえるのである。

「銀河英雄伝説」において、人類史の未来が明確な年度をともなって記されるのは「地球統一政府(G・G=グローヴァル・ガヴァメント」が成立した西暦2129年からであるが、そこの記述にこうある。
 「・・・・・・西暦2129年に地球統一政府が誕生すると、90年にわたる戦乱に倦み疲れた人々は、人類が生んだ最悪の創造物―主権国家が地上から一掃され、億単位の生命が権力者の欲望の供物壇にそなえられる愚行から自分たちが永遠に解放されるであろうと信じた。「13日戦争」と呼ばれる熱核兵器の応酬は・・・(以下略)」

 もっとも覚めた目からみれば「(引用者注:外国がなくなって)戦争がなくなれば内乱が起こるだけさ」という者もいたが、人々は事態を覚めた眼で見ることに疲れていた・・・

 この熱核兵器の全面的な応酬を伴う「13日戦争」は、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」でかつて地球に存在した高度文明を滅ぼした最終戦争「火の7日間」と似たようなものだが、決定的な差異はナウシカの世界観が、大戦争の後、「人類は長い黄昏の時間を過ごすことになった・・・」としているのに対し、「銀英伝」は地球統一政府の樹立により復興を急速に進め、2166年には火星と木星の間の小惑星帯(アステロイド・ベルト)を超え、木星の衛星イオに開発基地を建設し、2360年にはついに超光速航法が実現し、宇宙省技術陣ならびにその指導者アントネル・ヤノーシュ博士を全人類の英雄なさしめ、そして2402年にはカノープス星系に居住可能な惑星が発見され恒星間移民時代が始まる、という点である。

 「超光速航法」はともかく、人類は、少なくとも地球から飛躍し太陽系全域くらいには居住権を拡大しえるであろう。それをはばむのが主権国家にのっとった狭量な(時間的にも空間的にも)視野であり、その結果としての地球から飛躍し得ないままの人類死滅である。こうならないことを希望をこめて祈る。 
 それにしても「冬のソナタ・コンサート」は弦が生きててよかったね。POPSに弦楽合奏を入れるとドラムやエレキギター、ベースやシンセサイザー、歌手の歌声で聴こえなくなってしまうことが多いのだ。しかし、このコンサートの作・編曲はストリングスをよく生かしていた。日本のミュージシャンは大いに見習うべきだ。では最後に本題に戻って、終わりますか。
  1. 2005/09/27(火) 00:54:51|
  2. 音楽
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アニメ名作トップ100をみて

 今日(9月22日)、放送された「名作アニメトップ100」を見て(視聴者の投票-はがき、メール、ネット等で-によって決まる)、感慨深さとやるせなさが胸を吹き抜けていった。

 私はほとんどアニメを見ないが、「機動戦士ガンダム・サーガ(俗称。初代『ファースト・ガンダム』と『Z(ゼータ)ガンダム(1985)』、および『ガムダムZZ(ダブルゼータ。1987)』、そして『逆襲のシャア(1988、映画)』にいたる、アムロ・レイとシャア・アズナブルの物語」と呼ばれる物語と、小説全10巻(現在では各巻が上下巻に分かれているので20巻。外伝4巻(これも上下巻にいまでは分割されているので全8巻)と、銀河英雄伝説読本に収録されている「ダゴン星域の会戦」を除く短編を、完全アニメ化した「銀河英雄伝説」のほかは、「初代ガンダム」とは異なる人類史を歩んでいる「ガンダムSEED 、およびガンダムSEED-DESTINY」、そしていわゆる「宮崎アニメ」以外興味は少ないのだが、今回この番組(何回も同趣旨のものを同じ爆笑問題の司会でやっている)ではじめて(と思われる)76位に「銀河英雄伝説」がランクインしたのだ!!(私も投票に参加すればよかった・・・)しかし、とりあげられたのは数秒に過ぎず、しかも「美形キャラに女性人気が集中」というナレーションが・・・このアニメ(および、その原作となる、アニメ版を凌ぐ感動と充実感と寂寥感をもたらす小説版)はそんなものではないんだー!!これは西暦2801年を宇宙暦1年と改元し、銀河系の更なる深奥部へと居住空間を広げていった人類が、銀河連邦(USG)時代末期(宇宙暦310年に滅びる)に、文明病による退廃、社会秩序の乱れ、廃材発生率の増加と反比例しての検挙率の低下、麻薬・性的乱交・神秘主義にふけり、モラルを軽蔑し、生命を軽視する風潮に苦しんでいた人々が宇宙海賊の討伐で名を上げ、政界に進出した若き英雄ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを幾度かの選挙で国家元首に押し上げ、首相をもかねたルドルフは「終身執政官」から「神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝」へと上り詰めてしまう。大部分の人々はそれまでのルドルフによる、「過酷なまでの司法活動によって犯罪率は減少し」、「文化的に度を越した不健全な」風習の廃止などその確かに非凡で時代の弊風を振り払った実績からこれを支持した。さらに彼は、その全員が白人による貴族階級を作り古ゲルマン風な姓をあたえ、民主共和制から誕生した中世封建的な、血筋がほぼすべてを決めてしまう銀河帝国ゴールデンバウム王朝が誕生してしまう。宇宙暦310年が帝国暦1年となった。同9年には悪名高い「劣悪遺伝子排除法」の発布により、遺伝子的に劣るもの、社会的弱者、そして国家に反逆の異を唱えるものに弾圧が加えられた。それは具体的には精神病者を安楽死させることであり、弱者食救済の制度をほとんど全廃することであった。これに異を唱えたのはまだ残っていた議会において共和派の議員達で彼らが、民意を代表して反対するとルドルフは議会を「永久解散」した。銀河連邦の民主共和制ここに完全に死んだのである。

 それから約500年後、後宮に姉を奪われ、専制的手段でゴールデンバウム王朝の打倒と人類社会の分裂に終止符をうち、より民衆に資する社会を、唯一の、赤毛の親友ジークフリード・キルヒアイスとともにうちたてんとする、美しすぎる容姿と軍事と政治の天才的才能を兼備する-美神と軍神があらそってその存在を奪い合っているかのような、という描写すらある-ラインハルト・フォン・ローエングラム(旧姓フォン・ミューゼル。結婚したわけではなく軍事的功績によりローエングラム伯爵家の称号を与えられた-彼が最も嫌悪する、姉を奪ったゴールデンバウム王朝第36代皇帝フリードリヒ4世によって-のである)と、帝国の支配圏を脱し、「長征1万光年」と称される、長い長い旅の果てに。安定した恒星群をみいだし、出発時の40万人から16万人に減った人々によって建国された「反ゴールデンバウム的な(のちにいみじくもヤン・ウェンリーが思索上で指摘するように「反専制」ではなかった-)」民主共和制国家「自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)」のヤン・ウェンリーが知力の限りを尽くして、数万隻、数百万、1千万単位の将兵を率いて対決し、帝国自治領であり、同盟との交易を認められているフェザーン、そして800年前のシリウス戦役で廃墟と化した全人類発祥の地、太陽系第3惑星地球を聖地とあがめる「地球教」の陰謀が交錯する中の人類史の最も灼熱した5年間を描いたのが「銀河英雄伝説」なのである。

 ラインハルトは旧門閥貴族を一掃し、その財産を没収して民衆の福利厚生にあて、犯罪被害者のための救済機関の設置、工部省を設置してインフラの整備に努め(そしてやがてはこれらの「官」による事業を、いずれは「民」にゆだねることまで彼の構想にはあった!とても中世的封建国家に生まれ育ったとは思えぬ発想力だが、過去の歴史や、敵国の自由惑星同盟にまなんだのであろう)、貴族の土地を無償で農民に与え、ゴールデンバウム王朝の膿を排出し、同盟に皇帝を誘拐させ(これによって同盟はラインハルトの独裁下にある銀河帝国を打倒した後、銀河帝国に憲法を作らせ、議会を開設させて対等な外交関係を樹立し150年にわたる戦乱を終結させようとした。だがラインハルトはその陰謀を知っており、同盟が旧門閥貴族の復権をなそうとする悪の手先と民衆に認識させ、同盟に宣戦布告する)同盟をほぼ制圧する(ヤン・ウェンリーが彼を死の一歩手前まで追い詰めるも、、ラインハルトは配下の各艦隊を分散し、ゲリラ的攻勢を続けるヤンを自らの直属艦隊のみをさらけだし、壮大な包囲殲滅案を実施したが、戦場を遠巻きにみたところヤンの攻勢が尋常でないことからラインハルトの敗戦を予期したフロイライン(お嬢さん)・マリーンドルフ(通称ヒルダ。本名ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ)が、「帝国軍の双璧」ミッターマイヤーとロイエンタールを説得し、ラインハルトの救援に向かってヤンを壮大な包囲陣に誘い込むより、同盟首都ハイネセンを包囲させてヤンに停戦命令を出させて法がよいと説き伏せ二人にそれを実行させた。最高評議会議長(自由惑星同盟においては軍の最高司令官でもある)ヨブ・トリューニヒトからヤン艦隊へ即時停戦命令が出され、ヤンは、ここにおいて政府の命令に背いて独裁者を倒すか否か、過去の多くの軍事的英雄が直面した事態へと立たされていた。すなわち政府の命令を無視し、「独裁」への道を走るか(過去の多くの英雄がそうした)、あくまで自分は、市民によって選ばれた民主共和制政府の一軍人に過ぎず、「文民統制」にしたがうか、岐路に立たされた。そしてヤンはラインハルトを撃たないことを選択したのだ(まさにこここそ、「銀河英雄伝説研究序説」三一書房、P238 にあるとおり「銀河英雄伝説およびヤン・ウェンリーの真髄」である)。そして両者は対面し・・・とこういう物語なのだ!(原作の半分)。単なる美形キャラがこの作品の魅力ではな~い!しかし、TV放映は原作5巻でラインハルトが自ら戴冠し、ついにゴールデンバウム王朝を廃しローエングラム王朝を樹立した段階までしか放映されていない(これはOVAという形でリリースされたものを放送したものである。Tここに「日本史上最大最長」のOVAが誕生するのである《全10巻を描ききったOVAはビデオ、DVDとも28巻、110話におよび、ほとんどの場面がクラシック音楽の使用でBGMとしている》)のに、76位に入ったのは嬉しい限りである。

 が、しかし!

 1位がなんと「機動戦士ガンダム」ではないか~!!過去のこの「名作アニメトップ100」では数十位をさまよっていたのが(銀河英癒伝説は100位にも入ってこなかったが)半数以上が10代(1979年の放映にもかかわらず)の支持を受け1位。銀英伝のほうが深いでしょ・・・いや、1位が「銀英伝」で2位が「ガンダム・サーガ」なら納得なんだが・・・(今回は劇場版用作品が入ってないようなので、「逆襲のシャア」だめか。劇場用作品入れたら宮崎アニメが他を圧倒するだろうな)、ガンダムも好きだけれども(特に「ファースト・ガンダム」は宇宙移民者の一部が「ジオン公国」を建国し、地球連邦政府に独立戦争を仕掛けたものである。ジオン公国は「ジーク・ジオン!!」などナチス・ドイツ風の歓呼や、ギレン・ザビと言ったヒトラー風の扇動者がおり、「銀英伝」の初刊が1982年であることを考えると、「Z(1985)」や「ZZ(1987)」,「逆襲のシャア(1988)」の影響はないものの、初代ガンダムの影響はかなり見られる。めったにナレーションをだして、どういう経緯で戦争に至ったか、またこの時代までの人類史などを描かないガンダムシリーズだが(それが視聴者年齢を高くしているはずなんだが・・・)、「艦艇が爆発し光り輝くそのなかに、数十、数百の命がきえていくのだ」と言うナレーションは、ほとんど同じ表現が銀英伝にも頻出する。最も当時大学院生だった田中芳樹が1980年前後にかなり高価だったろうビデオデッキを買えたかは謎で、再放送を何度かやっていたのか、単なる偶然の一致か(しかし田中芳樹は宇宙戦闘描写の「参考になった」作品として「機動戦士ガンダム」を挙げている。「《宇宙戦艦》ヤマトならたった1艦だから戦術や戦略の展開しようもないが、ガンダムはそれをやっている。そういうのを宇宙ものにはじめて持ち込んだのがガンダムだと思うんですよ。だから見たときすげぇっておもったんですね」(「銀河英雄伝説読本」より)それにしてもここまで順位離れるか・・・大半の人がレンタルビデオなどで見たという点「ガンダム・サーガ」も「銀河英雄伝説」も同じはずなんだが・・・

 しかし、小説版では、アニメの人気も受けて小説家された一連のガンダムシリーズ(ほとんどが富野由悠季著。一部例外あり)を「銀英伝」ははるかに凌いでいる。全10巻のみごとな構想、そしてなんといっても灼熱した、流血と黄金に彩られた数年間で死に、生き、泣き、笑って物語を織り成す見事な造形を施されたキャラクターたち。そして、1人の人間に多様性が潜んでいるか、描ききった物語。三流政治業者ウォルター・アイランズが、ラインハルトの大攻勢の前に突如本物の政治家に変身し軍部との連携をいい意味で深め、協調し、なんとしてでもラインハルトの侵攻を食い止めようとする努力、ハイドリッヒ・ラングと言う帝国の官僚が、ロイエンタールに侮辱されたことを契機に、確かに陰謀めいたことをめぐらし(特に、侮辱されたロイエンタールを反逆に追い込むこと)、頭は禿げ上がり「母乳に満ち足りた健康な赤ん坊」と言った風体のこの男が冤罪事件で逮捕・処刑されたとき、憲兵総監ウルリッヒ・ケスラー上級大将(後の「獅子の泉(ルーヴェンブルン)の七元帥の一人)ラング婦人が「あの人は家庭では子供にもやさしくいいひとなんです・・どうかご助命できないでしょうか」と語り、ラングの冤罪事件の証拠を集めたケスラーはラングの意外性に戸惑いつつも、「ご婦人(フラウ)、あなたのご主人が法の下でしかるべき裁きを受けるのは良き家庭人だからではありません。どうかご理解のほどを」
 そういいつつケスラーは涙に暮れるケスラー婦人の姿をしばらくは忘れられそうになかった。おまけにそのラングが「下級官吏時代から匿名で育英事業や福祉施設に寄付を続けていた」という描写など卑しかったり、醜かったりする人物が意外な一面を持っていることをきちんと描写(しかも脇役の中でもさらに格下のキャラに!!)しているのも、銀英伝の魅力の一つである。この小説を読んでもう10年近くになるがこのおかげで音楽などへの興味と単に、この小説をコアに極めていくだけでなく違うジャンルにも興味を持ち始めたし、「~だけの人」なんていないんだ、と言う言葉を自信を持っていえるようになった。ガンダムで一番好きなキャラは金髪美貌(ラインハルトに似ている《笑》)のシャアであるが、彼は悲しいかな、銀英伝の、ロイエンタールのように女性にもてながらファースト・ガンダムの時のララァ・スンという少女が忘れられず、その少女と精神的交感(1種の同調か?こういった超能力めいたものがないのも銀英伝の魅力である。如何に傑出した能力を誇ろうともヤンも無論ラインハルトも、所詮は人間の域を出ない。)を果たしたアムロ・レイと宇宙暦93年に至ってもなお宇宙移民者に対する施策を充実させない地球連邦政府に苛立ちを覚え、かつて宇宙移民者の独立運動の父と呼ばれおそらくザビ家に暗殺されたにもかかわらず、「ジオン公国」のなかに名前を残した実の父ジオン・ダイクンの息子キャスバル・レム・ダイクンとしてカリスマ性を利用して、ネオ・ジオン軍を創設し、地球に小惑星アクシズを衝突させ「核の冬」を到来させて、人々を宇宙に住むもののみに限定しようとする戦争を勃発させる。それが「逆襲のシャア」であり、このラストの音楽(サウンドトラックでは「AURORA」となっている。ピアノと弦楽器が美しすぎる。三枝成彰作曲。後に触れるが、「砂の器」の「宿命」作曲候補者のひとりだ。クラシック音楽に連なる作品も多い。聴いたことないが;^^)は非常に美しく、銀英伝のラストに迫る感動と光輝さを感じさせる。

 いずれにせよ、銀河英雄伝説が入っていたのは大きな喜びだが、ガンダムと75位差もあるとは・・・芸能人も、(男に限ってだが)「ガンダム好き」は普通に語られるようになってきている。「この台詞のあのシーン」とか、ボール(兵器名。別名「動く棺おけ」)ってよえよなーとか。ラジオなどでも顕著だし、(T.M Revolitionとか。実際ガンダムSEED,ガンダムSEED-DESTINYの主題歌とか歌ってるし)。銀英伝実写化求むー。

 さて2004年版ドラマ「砂の器」で、新進気鋭のピアニスト(おそらく作曲家もかねていると思われるが)、和賀英良は自分の忌まわしい(そして懐かしい)過去を知る男三木健一を殺してしまったわけだが、その動機となった過去と罪を当初は「超克する」目的で作曲を始めたピアノ協奏曲(当初は新しい「交響曲」と呼ばれていた)「宿命」は、やがて警察の手が迫るのと同じ時期くらいから深い自己省察と、忌まわしい過去も犯してしまった罪もすべて受け入れて、それを背負う覚悟で作曲され最後は自分が過去を捨てた場所に戻り、偽りの人生を捨てることで完成させ、刑事の好意で初演にこぎつけ、初演直後に逮捕、そして一旦向かうその先には・・・
 という、原作(1960年!読売新聞掲載。連載当時は警視庁の刑事でさえ風呂付の家に住めなかったようだ。この小説版はの主人公は完全に和賀を追い詰める今西修一郎である。現在流通している新潮文庫版は昭和48年、すなわち1973年初版だからその間にかなり日本は豊かになっている。1973年にもなれば警視庁の刑事なら風呂付の家に住めたろう。ちなみにドラマ版が小説以上に脚本の元とした映画版『砂の器』は新潮文庫版が出版された翌年1974年の公開である。これも必見!!。)の松本清張の小説をはるかに凌駕してしまった(「銀英伝」ではアニメ版は小説を超えられなかったが、「砂の器」はその逆だ。その原因はやはり脚本の改定による、和賀英良が「電子音楽」の作曲家でなくクラシックの、しかも実験音的要素のない、ロマン派的な交響楽をつかって「宿命」と題する交響楽を作曲し、かけがえのない恩人でもある三木健一を殺してしまった自分のすべてをたたきつけ、万人に訴えかけとうとした見事な音楽と映像構成、操作会議で明かされる和賀の暗い過去《報告:今西刑事》へ同情するからだろう)「砂の器」だが千住明のほかに「宿命」の作曲者候補として誰がいるだろう。

  さて、「砂の器」の宿命は映画版(1974年)と去年のドラマ版(2004年版)も含め「4つ」作曲されているらしい。調べてみると確かに1962年テレビで放送されているのをはじめ、田村正和が和賀を演じたものや、佐藤浩市が演じたものなどがある。さて、2004年版の「宿命」の作曲は千住明に任されたわけだが、これを超える「宿命」を作曲しえたかもしれない作曲家を10人ほど挙げてみよう。(自分でオーケストレーションまでやる人にかぎってみる)

 坂本龍一
 池辺晋一郎
 吉松隆
 三善晃
 外山雄三
 すぎやまこういち
加古隆
 久石譲
 伊福部明
 佐橋俊彦(「機動戦士ガンダムSEED,および機動戦士ガンダムSEED-DESTINYの作曲者。ロンドン交響楽団で「交響組曲ガンダムSEED]作曲・録音の実績もある)
 三枝茂彰
 菅野ようこ(こちらもアニメを中心としていい曲が多いと評判の人。女性と思われるので、初めてオーケストラのレパートリーにのるような「宿命」を作曲していただきたい)

 (例外:植松伸夫。人気ゲーム「ファイナルファンタジー」の作曲者。彼のメロディーメーカーぶりは日本有数のものだと思うが彼は自分でオーケストレーションしないので)

 以上12名、クラシックの大家から、アニメ・ゲーム、器楽曲中心の作曲家など挙げさせてもらったが、伊福部はかなり高齢であり、池辺、三善も結構な年、坂本も千住より8つ上、もう少しせめて千住より若い作曲家かがいいなあ、と思ってたら「未来の『砂の器』」の「宿命」のことを考えてしまっていた。あくまで2004年版の「宿命」を誰がやったら私の感性で千住の「宿命」を上回る「宿命」ができたかと言うことである。坂本は十分メロディーメーカーだが、わざと遊びの部分を入れる可能性がある。三善や池辺、吉松、伊福部は実験音楽的にしてしまいそうだ。
 佐橋や菅野ようこなら千住の「宿命」を上回る「宿命」を作曲しえたかもしれないな~、植松伸夫のメロディーを基の誰かがオーケストレーションを施して「宿命」にするのもいいかもしれない。などと思いつつ長すぎるブログを閉じる。読んでくださった方がいたら長文かつ駄文をお読みいただき感謝に耐ええません。

では~
  1. 2005/09/23(金) 01:26:25|
  2. 雑記
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千住明作曲交響曲第1番 訂正

 訂正をさせていただきます。下のブログで「初演」とありましたが、千住明さんのホームページを見てみますと初演は、今年6月に既に、山形交響楽団東京オペラシティでおこなわれていたようです。誤った情報、失礼しました。

 それにしても、千住さんのページの日記で「今後何回も演奏されていく予定」とありましたので、ぜひ札幌でもやっていただきたいです。

 今日は昼間一杯寝てしまいました・・・
  1. 2005/09/18(日) 20:39:51|
  2. 音楽
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千住明作曲交響曲第1番

 「砂の器」2004年ドラマ版で、ピアノ協奏曲「宿命」を作曲した、ヴァイオリニストの千住真理子を妹にもつ作曲家の千住明が山形交響楽団《日本で一番頑張って欲しいオーケストラ。人口20万くらいの都市でよくプロやってんな、頑張れって感じで。基本的に判官びいきなので。アンチ巨人。カラヤンは例外;^^)の定期で新作の「交響曲第1番」を初演したらしいですよ。(「音楽の友」。今学校にあるので10月号か?)。評論によると第1楽章は「単なる現代音楽とは違うという意気込みと、充実が感じられた」が、「(3楽章形式のうち)のこりの第2、第3楽章は『私には映画音楽的な、実用音楽にしか聴こえなかった』らしい。ということは、ということはですよ、「現代の」、音楽の専門家・評論家(クラシックのね)が「映画音楽的・実用音楽的」というからには、私好みと旋律や構成、オーケストレーションなど(主に 19世紀全般の管弦楽曲の、美しい《と私が思う》旋律を主題にした諸作品に近いのでは?)が施されている可能性が高いと推測。これはぜひ聴いてみたい!映像なくてもいいから!

 いや、やっぱ映像も欲しいな・・・「宿命」なんかもいれて、マルチアングル使用のコンサートDVDで収録してくれんかな・・・中居くんゲスト出演特別ピアノ演奏って感じで盛り上げて。無理ならぜひCDでもいいから!

 千住明の「交響曲第1番」是非とも聴きたいな~
  1. 2005/09/18(日) 03:07:14|
  2. 音楽
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「終わらない明日へ」 機動戦士ガンダムSEED

 見ました。日付かわってますが;^^)
 
 この回でもっとも印象深い台詞は「ジェネシス」の発射目標点として選ばれた地域名を、議長の意を受けてオペレーターが叫ぶ「ジェネシス標準、目標、地球大西洋連邦首都ワシントン!」である。なぜなら、これこそ、「SEED」の物語が、「スター・ウォーズ」のようなはるか昔の我々とは異なる銀河系の話ではなくて、地球人類の、あまりに多くの愚行を重ねてきた人類史の、延長線上にあることをもっとも示唆する台詞だからである。あとは冒頭のラクス・クラインの呼びかけ-「ザフトはただちにジェネシスを停止しなさい!」
「核を撃たれ、その痛みと悲しみを知る私たちがそれでも同じことをしようというのですか!?」
「撃てば癒されるのですか!?」
「同じように罪なき人々や子供を、これが正義と、互いに放つ砲火が何を生んでいくのかまだわからないのですか!!」
「まだ犠牲が欲しいのですか!?」-である。正論以外の何者でもなく、しかしそれゆえに混乱し錯綜する宇宙の戦場ではこの声は届かない。
「SEED」の物語はC.E(Cosmic Era)という年号が西暦に変わって使用されているが、西暦がいつ排されたかは定かではなく、私は銀河英雄伝説が、地球人類の、未来史の劇的局面を描いているごとく、「SEED」もまたそうであるという証拠を求めてきた。ここに至って(じつは全話みてないのである;^^)持ってるけど)ようやく、「SEED」の物語が我々の子孫の物語であることが確認でき、物語への感情移入の度合いも増すのである。

 それにしても最後も中島美嘉の「Find the Way」にしてやられた・・・劇的な、この宇宙会戦の終幕は、大破したキラ・ヤマトのMSから投げ出され文字通り虚空に漂うキラが「どうして僕たちはこんな場所へ来てしまったんだろう・・・」という思索上の独白と、それを救助しに来るアスラン・ザラとカガリ・ユラ・アスハ(ジェネシスを爆破し、地球上の生物の半数が死滅するのを食い止めた)が涙を流しながら(このアニメはしょっちゅう、キラが泣く。人を殺したくないと。誰かを失いたくないと。戦いたくないと。そこに情けなさを見出す向きもあろうが、この、感傷性の高さが、私の琴線に触れる大きな要因の一つとなった。SEED-DESTINYではあまりそれがない)やがて笑顔となり、「Find the Way」の終幕とともに閉じられるのだがやはり感動ものだった。ヨーロッパの成し遂げた音楽上の功績は現代世界において極めて大きいが、その重要な支柱である「歌劇」でこれだけ、琴線を震わせるものはほとんどあるまいと断言できる。 

 「砂の器」(1974年映画版、2004年ドラマ版)「銀河英雄伝説」(小説・アニメ版とも。「銀英伝」のラストの音楽は、確証はないのですがマーラーの第9と思われる。ネットの無料視聴で確認してみよう)とともに、ラストを何回も見る作品の一つに今後は「SEED」も入りそうだ。
  1. 2005/09/14(水) 00:39:42|
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SEED-DESTINYの終幕を見る前にSEEDの終幕を

 というわけで、履歴書の清書を終え、「ガンダムSEED-DESTINY」の前作、「機動戦士ガンダムSEED」の終幕の2話、49話「終幕の光」、第50話「終わらない明日へ」を見始めた。

 やっぱDVDは綺麗っすね。デスティニーを受信状態の悪いTVで見てるので改めて実感。それはともかく。

 2002年っすか・・・成長してないな、自分。

 で、この2話、すでに後世にいう「第2次ヤキン・ドゥーエ攻防戦」に突入しているわけですが。

 まず「終幕の光」。地球連合とプラントの二大勢力の狭間で、独立勢力としてこの戦いに加わっていたアークエンジェルを守って、ムウが戦死(とあの当時は思って泣きそうになったよ・・・・)する場面と、彼の恋人にしてアークエンジェル艦長マリュー・ラミアスが号泣しながら主砲ローエングリンによって敵艦ドミニオンを撃沈させおわったこの回。

 それにしてもやはり「愛」だね・・・中島美嘉の「Find the Way」、これの効果は大きかった。いまのDESTINYのエンディングも悪くないが、本当に「SEED」は音楽が良かった。「交響組曲ガンダムSEED 」(演奏:「スター・ウォーズ」のサントラでも有名なロンドン交響楽団)もあるし、なんというか「昔は良かったなあ・・・」的郷愁を覚えてしまった。宇宙戦闘の迫力、躍動感は、「銀河英雄伝説」を凌いでいる。(アニメ版での比較。ガンダムは人型機動兵器主導だが、「銀英伝」は大型宇宙艦艇主役だからその辺りの差もあろう。)暗黒の宇宙とそこに光る、人の死と同義である白銀色の光の対比-ここにおいては、両者とも同じである。「銀英伝」の、宇宙戦闘描写にあるように-美と道徳との間には本来何のかかわりもないとさえ、思わせる。宇宙戦闘は美しいのだ

 子供にとってはこんな哀しい戦闘も、MSが躍動するかっこいいものにしか映らないだろう。しかし、SEEDの政治情勢、どんな勢力がどんな大義を抱えて戦い、多くの人間が死地に立たされているのか、理解しついていけるのは、「ファースト・ガンダム」の頃からそうだが、明らかにガンダムシリーズは中学生以上向きの作品である。ラクス・クラインの戦争とその主役である人間への懐疑-「おそらく私たち人間は争わなくても良かった存在」「自分の未来を守るために、他人の命を奪う。そして残されたものにはない未来-それはどんなもの?」-も含め、これは今日的問題への戸惑いと迷いの言葉として耳に響く。私は、クラシック音楽、特に交響楽を聴くが、オペラは全く聴かない。シナリオが陳腐なのが多いのだ。おまけに音だけでわけのわからん外国語で歌唱法の極致を披露されても、疲れるだけである。その意味でDVDなどはマルチアングル、字幕も数ヶ国語入り、CDよりはるかにオペラ鑑賞向きなのだが、「アイーダ」などのシナリオからして興味をそそるもの以外は今後も購入したり放送を見たりはしないだろう。

 では今日中にできればもう1回、最終話「終わらない明日へ」の感想を。
  1. 2005/09/13(火) 22:33:44|
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ようやくまともな就活を

 はじめたんですが、履歴書の手直しをささっと終えて「砂の器」映画版(1974年)、ドラマ版(2004年)の終盤をみて涙を流しています。
 
 あと復活販売される、カラヤンの映像ベートーヴェン交響曲全集(ああ、わざわざ「映像」とつけなければならない・・・)の「第9」が前は「1977年ライブ盤」と告知されていたのに、ネット上の知人の好意でクラシック専門番組で放送していたのをVHSテープで録画したものと思われる映像をDVDにしてもらいうけた1970年の嫌いな人が多そうな「擬似ライブ盤」にすりかわっていた・・・・どうやらあの映像は「幻」とまでいわれてたらしいです。参照http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1490891まあ1977年のやつもDVD-Rで持ってるけどなー。
 かっこいいのは1970年の方。でもライブ盤のほうが良かったなー、LDでも持ってるし中国語字幕はあるのに日本語がないので予約キャンセルしようかな・・・でも金次第なんですよね

 カラヤンの上下巻1000ページに及ぶ伝記(リチャード・オズボーン著 木村博江 白水社)のだいたい半分を読み終わる。しかしフルトヴェングラーのカラヤン嫌いと演奏妨害のための陰謀・策謀はすごいですね。また二人とも女にもてるね。カラヤンの性的嗜好についても少し載ってたが

「美を見抜く目と、若さを愛する感性を持つ多くの男性の例にもれず、女性の美しさと同じほど、男性の美しさにも惹かれた」
 
 私はカラヤンの性的嗜好について、レイバーンに意見を聞いたことがある。
「だいたいぼくらと同じようなものじゃないすか」と、彼はバリモア卿を気取った鼻声で答えた。「あれもこれもすこしずつ、とね」

 男性の美しさに、女性のそれと同等くらいに惹かれるのは私はカラヤンと同じです。実際の友人にハンサムが二人ほどいますがほれぼれするようなときがある。これは変だろうか?
  1. 2005/09/13(火) 00:34:04|
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いよいよ佳境

 「ガンダムSEED-DESTINY」がいよいよ佳境をむかえつつある。
プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルは、軍産複合体「ロゴス」を滅ぼした後、二度と人類が同じ戦乱の過ちを引き起こさないため、「デステニー・プラン」、つまり全人類の遺伝子を操作し、「他者より上へ、より多くの富を、より多くの財産を、・・・」という、「欲望、他者を理解しない傲慢な自我、富と物資を求める心」を排した人類のみによる、「恒久平和」を実現せんと全人類に布告。これは前作のSEEDが、壮絶な宇宙会戦(第2次ヤキン・ドゥーエ攻防戦)で終幕を迎えたのとは異なる展開を、物語の終幕を予測させる。しかし、次回予告「新世界へ(「から」だったらドヴォルジャークの第9のタイトルなのだが)」の画像に緑の閃光に引き裂かれる月面があった以上、戦闘の果ての終幕というのがやはり正しい予測だろう。

 「遺伝子操作による人類自身の欲望のコントロールおよびそれによる恒久平和の実現」という構想は宮崎駿の漫画版「風の谷のナウシカ」の終盤、かつて滅び去った高度文明が未来に託した遺産がなそうとするものと酷似している(ナウシカは「それは人間ではない」と否定するのだが)。「人類にとって詩と音楽のみが大切なものになろう」という甘い甘言は実現されず、おろかな争いを続ける人類が、荒廃しつくした地球に残される。

 さてSEED-DESTINYはどのような終幕を迎えるのか?

 しかし、放送開始からもう1年か・・・早いなあ・・・あと1年後には・・・
  1. 2005/09/10(土) 18:42:35|
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